舌で「見る」

あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎 (早川書房)

 感覚代行の話、興味深かったです。

 

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 私が強調したいのは、私たちが使い慣れているセンサーには特別な意味や根本的な意味はないかもしれない、ということだ。それは進化を抑制されてきた複雑な過去から、私たちが受け継いだものにすぎない。私たちはそれに縛られているわけではない。

 こうした考え方を原理的に裏づける証拠としては、感覚代行と呼ばれるものがある。これは触覚を通じての視覚のように、ふつうでない経路で感覚情報を供給することを指す。脳はその情報をどうすべきか考え出す。なぜなら、脳はデータがどうやって入って来たかを気にしないからだ。

 ・・・最初の実例は一九六九年に《ネイチャー》誌で発表された。その論文で神経学者のポール・バキリタは、目の見えない被験者が―視覚情報がふつうとちがう方法で供給されても―物を「見る」ことができるようになると実証した。目の見えない人が改造された歯科医のイスにすわる。そのイスでは、カメラからの映像が腰を押す小さなピストンのパターンに変換される。つまり、カメラの前に円を置くと、被験者は腰に円を感じる。カメラの前に顔を置くと、被験者は腰に顔を感じる。驚いたことに、目の見えない人はその対象を解釈できるようになり、近づいてくる対象のサイズが大きくなるのも感じられた。彼らは少なくともある意味で、腰で見ることができるようになったのだ。

 これが感覚代行の最初の例であり、そのあと続々と発表された。最近ではこのアプローチが、映像データを音声ストリームや、額または舌への一連の軽いショックに変換するやり方としても具体化されている。

 舌へのショックの一例として、ブレインポートと呼ばれる切手サイズの装置がある。この装置は舌の上に取りつけた小さな格子(グリッド)経由で、ごく軽い電気ショックを舌に与える。目の見えない被験者は小型カメラを搭載したサングラスをかける。カメラのピクセルが舌の上の電気パルスに変換され、炭酸飲料のパチパチのように感じられる。視覚障害の人たちはブレインポートを非常にうまく使いこなせるようになって、障害物コースをうまく通り抜けたり、ボールをバスケットに投げ入れたりできるようになる。盲目のアスリート、エリック・ヴァイエンマイヤーは、ブレインポートを使ってロッククライミングをする。舌の上のパターンによって岩の角や割れ目を判断するのだ。

 舌で「見る」というのがおかしく思えるなら、視覚とはあなたの頭蓋骨の暗闇へと電気信号が流れ込むことにすぎないという事実を思い返していただきたい。通常これは視神経を経由して起こるが、ほかの神経を通って情報が流れられない理由はない。感覚代行が実証しているように、脳はどんなものでも入ってくるデータを取り込み、それをどう利用できるかを考え出す。

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 脳が組み込めるようになれる信号の種類にどんな理論的制限があるのか、私たちにはわからない。私たちが望むどんな種類の物理的な体も、どんな種類の世界との相互作用も、可能かもしれない。あなたの延長が地球の裏側の仕事を引き受けたり、あなたが地球上でサンドイッチを食べているあいだに、月の石を採掘したりすることができない理由はない。

 私たちがもって生まれる体は、じつは人間性の出発点にすぎない。遠い将来、私たちは物理的な体を拡張するだけでなく、根本的な自己感覚も広げているだろう。新しい感覚を経験し、新しい種類の体をコントロールするとき、それによって私たちは個人として大きく変わる。私たちの身体適応能力が、感じ方、考え方、そして人となりの土台をつくるのだ。標準仕様の感覚と標準仕様の体という限界がなければ、私たちはちがう人間になる。私たちのひいひいひいひい孫は、私たちがどんな人間で、私たちにとって何が重要だったかを理解するのに苦労するかもしれない。歴史上のいまこの時点の人間は、近未来の子孫よりも石器時代の祖先とのほうが、共通点が多いかもしれない。