99年、ありのままに生きて

99年、ありのままに生きて

婦人公論」に掲載された瀬戸内寂聴さんのエッセイや対談から、厳選したものがまとめられた本です。

 いろんな時代のものが載っていて、価値観や生活環境や文化の変遷を感じました。

 

P28

 歳を重ねれば、なにかしら体に悪いところが出てきます。私も九十歳頃から、腰椎圧迫骨折や胆のうがんの手術などで、何度も入院しています。もちろん痛みで苦しんでいる時は、「神も仏もあるものか」といった気持ちにもなる。でも快復すると、また心が元気になるのです。

 人間、悪いところや失ったもの、手に入らないものを数え出したらきりがありません。逆に、今持っているものに目を向けると、それが幸福につながるはず。

 私は今、目が見えて、書くことができるので、それで満足。片方の耳はかなり遠くて補聴器が必要ですし、若い頃のようにさっさと歩けませんから多少は不便を感じるけれど、ちっとも不幸せではないと思います。私にとって、本が読めて原稿が書けるというのは、本当に幸せなことです。

 

P200

柳 瀬戸内先生が、いつか旧約聖書の『ヨブ記』を主題に小説を書かれるという話をうかがったんですけど……。

瀬戸内 遠藤周作さんの代わりに、書きたいと思ったんです。でも無理ね。

柳 私、『ヨブ記』を毎日読んでいたんです。この一年間はまさにヨブの心境で、「私も口を閉じてはいられない。苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう」「どうか、私の言葉で、書きとめられるように。どうか、私の言葉が、書物にしるされるように。鉄の筆と鉛とをもって、ながく岩に刻みつけられるように」という気持ちだったんです。・・・

瀬戸内 なんでヨブみたいに信仰の篤い人が、次から次へ苦しみを受けなくてはいけないのかってね。だけど世の中って見回したら、そんなことばかりでしょう。遠藤さんが病気でつらいと言ったとき、奥様が「ヨブを思い出しなさい」とおっしゃったんですって。遠藤さんは、「そうだ、『ヨブ記』を書けばいいんだ」って言ったらしいけれど、ほんと、生きて書かせてあげたかった。だから私、遠藤さんが亡くなったとき、ああこれは私が代わって書かなくてはいけないと思ったんです。

柳 私にとって『命』という作品は、ラストがない『ヨブ記』なんです。丈陽の父親、そして東さんは私にとって唯一無二の存在です。代替不可能なんです。私は二人とも失ってしまった……。

瀬戸内 どうして私がこんな目にあわなきゃならないのってことは、あらゆる人が思っていることでしょう。それが人生で、だからこそ小説がある。いいことをした人はいい目にあい、悪いことをした人は悪い目にあうのであれば、小説もいらなければ宗教もいらないわけですから。人間というのは、本当に矛盾だらけ。あなたの話だって、さっきから矛盾だらけでしょう。

柳 自分でも矛盾を自覚しています。ただ私は、自分だけがこんな目に、ということだけは思わないように歯を食いしばっています。

瀬戸内 そうそう。子供を産んでも、認知してもらえないことが多いんだから、その点でもあなたは恵まれています。あなたの彼は、よく認知しました。だから、許しなさい。

柳 はい。

瀬戸内 それから奥さんも、もちろん承知しているわけでしょう。彼女の許可がなかったら、認知できなかったわけですから。だから、許してごらん。そうしたら気が楽になるから。

柳 私を棄てたことは、今でも哀しいけれど、許してはいます。私が許せないのは、子供を棄て、月に一度会うという約束を反故にしていることです。でも、許せないと思うと同時に和解したいとも思っているんです。いつか、和解できるでしょうか。

瀬戸内 できると思う。あなたが本当に心から許したら、それは向こうに通じるのよ。

柳 この一年、時間の貴重さを思い知らされました。時間がないということは残酷です。あらゆる可能性が閉ざされるのですから。いままであまりにも刹那的に生きてきた罰でしょうか?

瀬戸内 でも柳さんね、この世だけが時間と思わないでほしいの。東さんは亡くなったけれど、やっぱりあなたと東さんとの間の時間は、まだ続いている。仏教で言うと、無限の過去世と無限の来世がある。真ん中の現世なんていうのは、薄っぺらなサンドイッチのハムくらいだと私は言っています。だから、この世で起こった現象だけで時間を決めつけたら、人生はみじめなものになる。東さんは、あなたの中でこんなにいきいき、いまも生きているじゃないの。むしろ現世にいたときよりも、ずっと熱い存在になっている。坊やはまだ無意識だけど、それをあなたから肌で感じていますよ。