タイトルを見て、何の本??と気になって手に取りました。
面白かったです。
こちらはナビゲーターの越前屋俵太さんと、山極寿一さんのお話。
P5
越前屋 一度フィールドワークに出られると、どれくらいゴリラと一緒にいるんですか?
山極 一〇カ月程度ですね。早朝まだ暗いうちにゴリラに会いにいくと、彼らはまだ寝ています。そこからゴリラのあとについて一日過ごして、帰ってきてメシをつくって、今日の記録をタイプして寝る、と。こんなふうに人と会話しない生活を何カ月も続けると、人間の言葉を忘れますね。ゴリラと「ウーッ、アーッ」って話してるだけだから、日本に帰ってきたとき、まず日本語が読めなくなった。
越前屋 えーっ。記録の入力は英語でしているわけですね。日本語に一〇カ月も触れていないと読めなくなりますか……。
山極 そう。それに鏡もずっと見てないでしょう?久しぶりに自分の顔を見たら、「あれ?俺、こんな顔してたかな」って。自分もゴリラみたいな顔のつもりでいたから、人間の世界に戻ると「変な顔してるな~」って思えてきたり。
この「向こうの世界にどっぷりつかって、向こう側からこちら側(人間の世界)を見てみる」というのが、僕のやってきた方法です。
越前屋 では、変人になるもう一つの方法は?
山極 「ふだんの世界にいながらにして、すべてを疑う」こと。そのときに、僕ら研究者というのは、「いかにいい問いを考えるか」が勝負なんです。ゴリラの世界に入っても「問いを立てること」は重要です。
ゴリラが実をとって食べた。なぜこの実を選んだのか。なぜこの場所にやってきたのか。この世界をどう見つめているのか……。
ゴリラの研究のように、人間が研究対象の世界に出向いて考えられるときは、目の前に実例があるので、そういった問いをつくりやすい。
ところが、通常の世界にいたら、なかなか「いい問い」って出てこないね。当たり前のように目の前にある物事を疑わないといけないですから。
こちらはサービスについて研究している山内裕さんのお話。へぇー!でした。
P80
いったい「作法」とは何なのか。どうして、ややこしいのでしょう?
それは、「ややこしくなければいけない」からです。
・・・
作法というと驚かれるのが、徳利の注ぎ方です。徳利には、鳥のクチバシのようにキュッと尖った、「こちらが注ぎ口ですよ」といわんばかりの形をした部分があります。・・・ところが、作法としては、尖った部分の逆側・・・から注ぐのが正しいのです。
徳利を上からのぞき込むとき、キュッと尖った部分が上になるように置くと、栗の実のような形になります。これは仏塔の上にある「宝珠」の形を模しているといわれ、お酒を注ぐ相手にその形がきちんと見えるように、尖った部分を上にして注ぐのが正しいのだとか……。
お説はたしかにそうでしょう。しかし、そんなわけがないと思いませんか。形状を見るかぎり、合理的に考えれば、キュッと尖っている部分は注ぐためにつくられているとしか考えられない。そのほうが便利だし、無理がありません。
しかし「作法」は、そんなことおかまいなしです。合理的なものはすべて排除するのが「作法」です。実は、合理的で効率のいい物事の対極であろうとするのが「作法」なのです。
・・・
ここまで読み進められたみなさんは、作法のひねくれっぷりに「めんどくさ……」とあきれてしまったかもしれませんね。しかし、くり返しになりますが、ややこしく、わかりにくくすることで価値を生み出すことこそが「作法」の存在意義なのです。
P101
冒頭の山極寿一先生との対談にも登場しました越前屋俵太でございます。
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・・・なにも京大の変人は教授だけではない。ドイツ語の試験で「辞書やノート、何を持ち込んでもかまわない!」と教授に言われたので、試験会場に「知り合いのドイツ人」を持ち込んだ学生がいた、という噂がある。