東大から刑務所へ

東大から刑務所へ (幻冬舎新書)

 やはり話は聞いてみないとわからないなと、お二人の考え方など興味深かったです。

 

P224

堀江 人間ってすぐ忘れる生き物なんですよ。だって僕が長野刑務所からシャバに出てきたのは4年前なのに、僕が元犯罪者だってことを多くの人が忘れてるんじゃないですか。

 

井川 特捜検察がガサ入れしたときは、日本中のマスコミが「ホリエモン=極悪犯罪者」と喧伝したものだった。なのに今や、たかぽんはゴールデンタイムのバラエティ番組に出演したり、朝の「サンデー・ジャポン」で普通にコメンテーターをやってるもんね。

 

堀江 人間の記憶ほどいい加減なものはないんですよ。だったら、みんなの記憶なんて全部塗りつぶして、新しいイメージで上書きしちゃえばいい。そのうち「堀江って昔、何かすげえ罪で捕まったらしいぞ」みたいな言説ですら、「えっ、そんなのウソでしょ。都市伝説でしょ。フェイクニュースだよ」となりますから。・・・

 

井川 仮釈放された直後の2017年2月、私の著書『熔ける』が幻冬舎で文庫化されたのよ。文庫本をお袋に見せたら「えーっ!せっかく世間があんたのことを忘れかけてるのに、なんで本なんて出すのよ」と眉をひそめる。私はこう言い返した。

「いやいや、逆だよ、お袋。このままだったら、オレはただの犯罪者として、記憶され、その記憶さえもやがてみんなの頭の片隅から消えてしまう。こうやってもう1回本を出してもらえば、『なんだか知らないけどおもしろそうなヤツだな』と思われて、良くも悪くも人々の記憶に残るから」

 

堀江 ・・・そんな過去は逆手にとって新しいことを始めちゃったほうがいい。

 ・・・だって、ぼくが仮釈放されてからたった4年しかたっていないのに、NHKが「初の民間宇宙ロケット 打ち上げへ」なんてテレビ中継して、僕のインタビューまで流してくれるんですから。

 

P230

 東京地検特捜部に逮捕されて東京拘置所に閉じこめられていた間、僕を支えてくれたのはシャバから届けられる「ロケットの図面」だった。あの設計図がなければ、僕は拘置所の中できっと心が折れていた。独房でロケットの図面と専門書を眺めながら、僕はいつしか成層圏から漆黒の大宇宙へと体ごと飛び出していた。

 ・・・

 資材調達などロケット発射実験の準備を着々と進めていたなか、突然思いもよらない事件が勃発する。2006年1月、証券取引法違反の容疑での逮捕である。

 ロケット開発事業は、ここでバラバラに空中分解してもおかしくなかった。だが彼らは「なつのロケット団」(のちに「インターステラテクノロジズ株式会社」へと発展)を結成し、僕の逮捕後も変わることなくロケット開発を続けた。彼らが届けてくれたロケットの図面は、東京拘置所で心が折れかけていた僕を常に支えてくれたのだ。

 ・・・

なつのロケット団」は、文字どおり手作りでイチからロケット開発を進めていった。ホームセンターで買ってきた資材を使い、自宅の台所やベランダをラボとし、仲間たちは手探りでロケットを造っていった。そして2011年3月、とうとう「なつのロケット団」は小型ロケット「はるいちばん」の打ち上げ実験に成功したのだ。それから3ヵ月後、僕は長野刑務所へと収監された。

 ・・・

 東京地検特捜部に逮捕され、刑務所にまでブチこまれてしまったことによって、僕の人生は大きく舵取りが狂ってしまった。そのことはとても理不尽だと思っているし、捜査のやり方、裁判の結果については今も納得していない。だが「人間万事塞翁が馬」(人間の幸不幸は予測不能)だ。人生には良いときもあれば、悪いときもある。

 特捜検察に逮捕されるまでの僕の人生は、今思い返せばうまくいきすぎだったのかもしれない。人に対して横柄な態度をとったり、感謝の気持ちや謙虚さを忘れていた側面もあったのだと思う。いい気になりすぎていた場面もあるだろう。そのことを快く思わない人たちによって、僕は足をすくわれてしまった。・・・ものすごく無駄な30代後半を過ごしてしまったと思っている。しかし、そのことを今悔やんでも、仕方がない。

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 東大から刑務所へ堕ちた僕の人生は、不運ではあったと思う。だが、僕の人生が不幸だと決まったわけではない。たとえひとたびつまずいて転んだとしても、人間は必ず再び立ち上がれる。これからの人生を通じて、僕はそのことを身をもって証明していく。井川意高氏もまた、きっとまったく同じ気持ちだと僕は思うのだ。