正直でいること、素直でいること

いのっちの手紙 (単行本)

 確かに悟りの境地と言いたくなるような・・・この辺りも印象に残りました。

 

P200

 僕は本当に我執がないんですかね。自分でもよくわかりません。所有欲はほとんどないと思うのですが。・・・悟りの境地と環さんに言われ、さすがに吹き出してしまいましたが、確かに時々、人から言われたり、僧侶から言われたり、したことはあります。僕としては悟りの境地にいるとはまったく思ってはいません(笑)。でも幸福ではあると思っているようです。僕は今、何かを目指すという状態ではありません。このままでいいなあと思ってます。でも変わらないでいたいというわけでもありません。どうなってもいいなと思ってます。でも、悪くなるようなイメージはありません。どう転んでも、なんとか楽しく生きていくんだろうなあと思ってます。それはずっと変わりませんね。・・・

 

「あらゆる欲望を超える、それよりも至上の意欲を見つけること。/その時、人間は流れそのものになるのではないか」

 

 こういったことを文章にしたことを覚えてはいますが、これもまた返事を書きながら、見つけた言葉であって、僕が考えた末に見つけ出した、そして、脇に置いて保存していた言葉ではないんです。でも、いい感じですね。と言いつつ、僕が今、至上の意欲の状態なのかというと、また違うかもしれません。僕自身、毎日、かなり変化しているようです。・・・実は相当速い速度で変化しているようです。確かに流れそのものになっている、ということが無きにしも非ずという感じでしょうか。これがもし万が一、悟りの境地、だとしたら、それはそれで楽しいなあと思います。でも多分違うんでしょう。・・・

 僕はずっと小さい時から、一期一会という言葉になっていませんでしたが、そんなことを感じてました。もう二度と繰り返されることがない。でも同時に、永遠みたいな感触もあったと思います。ずっと消えない。

 

P227

 何事も怖い、のではなく、めんどくさかったんですね。そのことには気づきました。めんどくさいということを抜けていくと、色々面白いことが広がっていきます。僕も昔は相当のめんどくさがりでした。環さんのめんどくささが解放されていくと、きっと楽しいオープンダイアローグの実験の場ができるはずですし、人々の幸福がそこから生まれると僕は確信しています。

 

P237

 僕は今、幼少の頃にやってみたかったけど、言葉になっていなかった、仕事をやっている感触があります。それはとても幸福なことです。確かに僕は今、自由とは何かはわからないけど、囚われていない、楽だなぁ、と思ってます。安住することはできないけど、移り変わるけど、恐れはまったくありません。恥もありません。自分を飾ろうとも思いません。でも自分を心から守る気でもいます。だからといって駄目なところを隠そうとは思いません。隠すことでは守れないからです。正直でいること、素直でいること。丸裸でいること。それが一番楽だから、それをやっているのです。僕は今、とても楽です。

 その人たちにとっての正直とは何か、素直とは何か、それが僕は電話をしていると、見えてくるみたいです。もちろんやり方は簡単です。こちらがそのような正直な目で真っ直ぐ見ればいいだけです。こちらが何か隠したら、相手も隠します。これが僕の治療の方法であり、対話の方法であり、経済の方法であり、自然との接し方であり、生き方そのものです。

 ・・・

 ・・・環さんとこんなやりとりができて、僕は今まで自分の体の中に眠っていたたくさんの言葉たち記憶たちが呼び覚まされ、僕が声をあげると、喜び勇んで、こちらに向ってくるのを何度も感じました。その度にまた書きたくなっていきました。その時の状態、それは僕にとって幸福以外の言葉は当てはまりません。僕は苦労をしてきたのでしょうか。大変な修行を経てきたのでしょうか。そうは思えません。僕は幸福でした。僕はずっと幸福だったとしか思えないのです。そして、そんな人生は僕だけの特別なことなのでしょうか。僕はそうも思っていないのです。人々もまた幸福のことを知っているということを僕は経験から確かに感じてます。だからこそ、もっと書きたいと思う力と同じような力が、いのっちの電話をしている最中に湧いてくるのです。僕は素直に人々が幸福のことを忘れていないということを呼び覚ましたいと思っているようです。それが僕にできることであり、死ぬまでやり続けていたいと思うことなのです。