友よ、水になれ

友よ、 水になれ――父ブルース・リーの哲学

 ブルース・リーの哲学、興味深く読みました。

 

P15

 本書では、父の〝水になれ〟という哲学がどういうもので、父の人生と遺産に長年浸ってきた私がどのようにそれを理解しているかをお伝えできるよう、最善を尽くします。

 父のこの名言をご存じない方のために説明しておくと、これは武術の修業中に父が初めて気づいた境地を表したものです。本書を通してこの言葉はずっと、人生を精いっぱい生きることの暗喩として使われます。でも、私にとっていちばん大切に感じられることは、「水のようになる」という考え方には、人生における流動性や自然な性質のありように抗わず、みずからもそれを体現しようとする意識が込められている点です。水はどんな容器に流れ込んでもそれに合わせて形を変えます。柔らかくも強くもなり、しかしつねにありのままの水であることは変えません。そんな水のように、たゆみなくずっと流れつづける方法を見つけていく―柔軟さと鋭い知覚を備え、自然体で、山があろうと壁があろうと前進を止められない自分になれるところを想像してみてください。父のような武術家にとっては、磨き上げる技術の極致と言ってもいいでしょう。私にとっては、一人の人間として自分を表現し、力強く、自由でいられる能力を高めるための教えです。

 

P27

 戦う相手を前に抱いた思いや感情は、水面に映った飛ぶ鳥のように過ぎ去らせるべきではないか。葉問先生が言う、気持ちに執着や遮断がある人とはそういうことだ。つまり、自分を律するには、まず己の性質に寄り添い、それに逆らわず自分を受け入れなければいけないのだ。

 

P47

 ・・・この人生は何のためにあるのか。父はよく言っていました。人生でもっとも大切な仕事は「自分自身であること」だと。・・・大切なのは、あなたはどんな生き方をしているか。〝体現〟という言葉がこれに当たります。考えや訓練、価値、概念を体現するとは、それを自分の生き方に組み込むことです。・・・

 

P62

 完全に心を開き、責任を持ち、意識をはたらかせ、溌剌とした人間になるには、外の世界や自分の内面に力をはたらかせたいとか、指図したいとか、締めつけたいといった欲求を捨てる必要がある。〝自分を空にする〟と言ってもいい。これは否定的な話ではなく、受け取るための開放性のことなのだ。

 

P240

 映画『燃えよドラゴン』が初めて上映されたときは、父が脚本を書いて撮影した場面がカットされていましたが、公開二十五周年にあたりワーナー・ブラザースがその場面をすべて復活させました。そこで父は師匠の僧侶と歩いていて、師匠が父に問いかけます。

僧侶:きみの才能は単なる身体レベルを超えたようだ。いまやきみの技能は精神的洞察の域に達している。いくつか質問がある。きみが極めたい最高の技は何か?

リー:技を持たないこと。

僧侶:よろしい。相手と対峙したとき何を考える?

リー:相手はいません。

僧侶:それはなぜか?

リー:〝私〟という言葉が存在しないからです。

僧侶:なるほど。続けて。

リー:優れた武闘家は緊張せず、準備を整えている。考えず、夢を見てもいない。何が起こってもいい準備ができている。相手が伸びれば自分は縮む。相手が縮めば自分は伸びる。チャンスができたときは、私が打つのではない。それがおのずと打ち込むのです。

 

P242

 ・・・心という名のコップを空にする話もありましたね。これが〝息づく空〟の第一の側面です。この気づきの第一段階は〝善悪〟〝正誤〟といった二元論的思考の牢獄から自分を解放し、執着せず、あるがままに物事を見ることです。必要なのは、そのときどきに現れるあらゆるものを受け入れ、認め、感じ取ることだけ。他には何もする必要がない。

 この息づく空という側面を別の角度から見れば、空っぽの心とは正直さ、誠実さ、偽りのなさ、素直さといった精神的姿勢です。いま起こっていることに率直に向き合うには、自分に正直で誠実でなければならない。あらゆる経験に、偏見を持たず正面から取り組まなければいけない。いまという瞬間に全集中し、経験に正直に向き合えたら、真の意味で経験を掘り下げられるようになる。・・・ 

 ・・・

 精神を阻害する要因を全部取り除き、習得した技術をたえず無意識の努力で捨てて、心を流動的な状態に保つことができないと、専門知識に習熟することはできない。

 ・・・

 ・・・父は、「会得した知識や技術は〝忘れる〟ためにあり、たえず忘れることで何の障害もなく快適に空を漂うことができる」と言いました。・・・

 

P294

 生きるとは創造の中で自由に自分を表現することだ。ブルース・リーが提示できるのはせいぜいよさそうな方向性くらいで、それ以上のものではない。あなたはあなたで自由に選び取り、本能の可能性を自由に表現すればいい。私は人生の芸術家になるため日々自分を実現している。自分の可能性を実現し、本当の自分でいられること以外に、人生に何を求められるだろうか。