繰り返しの中に・・・

考えないヒント―アイデアはこうして生まれる (幻冬舎新書)

 こんなふうに生きている方がいるんだな・・・と、著者も書いているように、何か謙虚な気持ちというか、気持ちが鎮まる感覚になりました。

 

P150

 僕は銭湯が好きで、よく行きます。

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 ・・・今、僕がよく行くのは、北区にある「稲荷湯」という銭湯です。僕の住んでいるところからは、わざわざ高速に乗って行くぐらい遠い。

 なぜそこを見つけたかというと、あるとき、東京の銭湯で一番遅くまで営業している銭湯はどこかを調べたら、当時そこが一番遅かったからです。午前一時四十五分まで開いていたので、仕事が終わったあとに入りに行くには都合がよかったんです。

 稲荷湯は、北区の滝野川という住宅街の中になる、昔ながらの銭湯です。

 下駄箱に木製の鍵をかけて「男湯」と書いた暖簾をくぐると、番台におばあちゃんが座っているようなところ。脱衣所に縁側があって、そこから金魚が泳いでいる池が見える。そして風呂の壁一面に、でっかい富士山の絵が描いてある。

 初めて行ったとき驚いたのが、そこがとても清潔なことです。

 建物自体は新しくないのに、脱衣所に髪の毛一本落ちていないし、タイルの目地まで磨き上げてあって、澄んだ熱いお湯が湯船からあふれ出ているんです。

 すっかり気に入って、それから何度も行くようになりました。

 ある日僕は、そこのおばあちゃんと、おばあちゃんの娘さんに、

「どうしていつも、こんなにきれいにしているんですか?」

 と聞いてみました。そうしたら、

「実はおじいちゃんが去年亡くなったんだけれど、そのおじいちゃんがいつも、『人様からお金をいただく以上は、感動させなきゃいけないんだ』って言っていたんです」

 と。さらに驚いたことに、その銭湯は、掃除がすみずみまで行き届いているだけじゃなく、水道水を一切使っていないんだそうです。

 まず井戸水をくみあげる。そしてそれを重油ではなく、薪で沸かす。薪で沸かしたお湯は肌あたりがいいので、温度が熱くても入れるんだそうです。

 富士山のペンキ絵は、一年に一回、必ず職人さんに来てもらって描き替える。

 桶もプラスチックの黄色い「ケロリン桶」ではなくて、木の桶を使っています。

 そしてその木の桶は、毎年十二月三十一日の営業が終わると全部回収して、薪にするそうです。

 元旦はお休みして、一月二日に、まっさらな木の桶を置く。水分を含んでいない乾いた新品の桶を床に置くと、高く澄んだ、カランカランという音がする。その音を聞くと、「ああ今年もお正月が来たな」と思うそうです。

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 ・・・稲荷湯は、仕事に対する姿勢のお手本でもあります。そこへ行くたび、なんだか謙虚な気持ちになります。

 ・・・毎日掃除してお湯を沸かして、お客さんを迎える・・・その単純なことの繰り返しで、こんなにも人を感動させられるのは、ほんとうにすごいことだと思います。

 

P98

 僕自身は、いろいろな仕事に手を広げ、広く浅く、興味のあるものからは何でも吸収してアイデアを出すタイプです。だからこそ、・・・職人の世界に、すごく憧れるところがあります。

 知り合いのカメラマンが新潟のお百姓さんを取材に行ったときのことです。

 お百姓さんの写真をたくさん撮って、最後に「今年のお米のできはどうですか」と聞いたら、そのお百姓さんは「いやわかりません」と言った。

「あなたたちは今まで何万枚って写真を撮っているだろうから、今撮れた写真がいいか悪いかってわかるかもしれないけど、僕はまだ米を五十回しかつくったことないんです」

 と言ったんだそうです。

 それを聞いたとき、僕はその謙虚さとひたむきさに心を打たれました。

 ・・・「まだ五十回しかつくったことがないからわかりません」と言えるような人生観に憧れます。