イラクと湿地帯

イラク水滸伝 (文春e-book)

 国やエリアの独自性、興味深かったです。

 

P149

 私は日本を出る前に、アフワールに関する環境生態学的な資料も入手し、目を通していた。ユネスコ世界遺産に登録されただけあり、国連環境計画(UNEP)が調査を行い、細かいデータをとっていた。日本政府も資金を拠出し、日本人の専門家も参加している。だから、データや戦略があること自体は意外ではないのだが、正直言うと、それはあくまで国際組織や先進諸国が調査研究を行っているものだと思い込んでいた。イラク政府の役人や技術者にそんな力など到底ないと心のどこかで考えていた。

 私たちのそのような偏見は今に始まったことではない。イラクに来てから、私たちは幾度も「イラクを他の途上国より高く評価してはハイダル君やその家族、知人から顰蹙を買う」という情けない失敗を繰り返していた。

 私は、「長年の苛酷な独裁に加え、激しい内戦がつづき、治安がひじょうに悪く政治も腐敗している」という点から、イラクソマリアアフガニスタンなどと同列に置いていた。・・・

 その目縁で見ると、イラクは比較にならないくらい秩序がある。

 ・・・

 彼らは「今のイラクはダメだ」と繰り返す。家や店の前の歩道にその家・店のモノが置かれていたり、道路がゴミで汚れていたりするのを見ては「あんなことは昔はなかった」と嘆く。

 アフリカ慣れした私たちからすれば、ずいぶん贅沢な悩みに見える。いや、アフリカでなくても、パキスタンやインド、東南アジアなどアジア諸国の多くでも、家や店の前の歩道を近所の人が勝手に使っていたり、道路にゴミが落ちたりしているのは珍しくない。

 ハイダル君の親戚の若者は、私たちが「アフリカよりいい」と言ったら、声を荒げた。「アフリカと比べないでくれ。アメリカや日本と比べてくれ」

 返す言葉もなかった。

 日本で見聞きするイラクのニュースはよくないことばかりだ。実際に現地へ行ってみれば決してそんなことはないだろうと私は自分の経験から確信していたものの、それでもイラクを「なめていた」のは否めない。

 イラクは一九七〇年代までは豊かな産油国だったのだ。教育と医療は無料で、レベルも高かったようだ。それは八〇年代に入ってからイランとの戦争で徐々に疲弊し、湾岸戦争の後の経済制裁で国民生活はどん底に落ちた。しかし、必ずしも政府の各省庁の能力までが大幅劣化したわけではないらしい。ハイダル君は言う。

「外部からの援助が止まって何でもイラク人が自分でやらなきゃいけなくなったからじゃないかな。サダムがやれって言えば、どんなことでもやるしかない。それに外国へ行くのも禁止されたから頭脳流出もなかった」

 

P277

アメリカとイランの関係が急速に悪化しています」という連絡が在イラク日本大使館から入ったのは私たちの滞在が十日を過ぎた頃だった。・・・要旨は「できれば早く退避してください」であるが、もちろん私たちはその勧告に従えないので、定期的に居場所や現状をこちらから報告している。そのやりとりの中で、冒頭のような緊急警告がなされたのだ。

 イラクは特殊な国である。政府に強い影響力をもつ国がアメリカとイランなのだ。ISが猛威を振るっていた時期は一緒に戦っていたが、共通の敵がいなくなると、アメリカとイランは宿敵に戻った。・・・イラクアメリカとイランの戦場となりつつあるのだ。

 ・・・

「高野さんたちも危険に十分注意してください」と日本大使館が警告するのも当然だろう。大使館職員の人たちにしたら、他に誰も外国人がいない、イラン国境に近い湿地帯の真ん中でポツンと孤立している私たちはさぞかし無防備に見えたことだろう。

 しかし、私たちは危険にさらされているわけでも、孤立しているわけでもなかった。なにしろ、ここは水滸伝エリアである。イラクで何か本格的な戦闘が勃発したりしたら、みんなが逃げ込む場所にいるのだ。しかも、私たちはチバーイシュ町の人々の間ではすでに「おもしろいガイジン」として有名である。ここを仕切るバニー・アサド氏族の人たちの「客分」として認知されている。何かあったら必ず守ってくれるはず。守れなければ彼らの名折れになる。つまりとても安全な状況にいるのだ。