このような「違いの説明」、おもしろいなーと思いました。
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ともすると「俺こそ正しい、アイツはバカだ」と思いだがる私たちですが、実は互いが互いの写し鏡になっている。「是と非」「賢と愚」を切り離すことはできません。それは鐶のように、隔たりなく全体が繋がっているのです。
これこそ欧米人になかなか理解できない、聖徳太子の「和」の精神でしょう。「乳水和合」を理想とする叢林生活の根本姿勢もここにあります。日本人ならば馴染みのある考え方だと思います。
しかし欧米人はそうはいきません。協調性がなく、組織における自分の役割よりも、「俺は俺」というアイデンティティが強く、とにかく自立志向です。日本人が相手の身になって考えようとするとき、私を含めた欧米人は物事を「客観的」に考えようとします。ただ、その「客観」はこちらの主観的な思い込みに過ぎないということもしばしばです。自分たちの「正義」を振りかざし、イラクに攻め込んだアメリカの例を挙げるまでもありません。
逆に日本的な「義理人情」は欧米人には受け入れられません。人間関係が極めてドライで、「気を利かす」という概念もなければ、「以心伝心」といった四字熟語を知るすべもありません。(いや、最近の日本もそうなりつつあるかもしれません)。
欧米型のコミュニケーションは、「私」と「あなた」がそれぞれ山頂に立って遠いところから叫び合うようなものです。日本人ならば、深い井戸を掘って、共有できる水脈を互いに探ろうとするでしょう。お互いの歯車が噛み合わないのは、言葉が違うからではなく、コミュニケーションのスタイル自体が違うからです。山頂で叫び続けている欧米人は「どうして日本人から返事が返ってこないのだろうか」と不思議に思っている一方、黙々と井戸を掘り続けている日本人は「どこまで深く掘れば、相手に伝わるのだろうか」とため息をつくのです。