アー・ユー・ハッピー?

アー・ユー・ハッピー? (角川文庫)

「成り上がり」の後の矢沢永吉さんの人生ストーリー、すごいスケールだなと思いながら読みました。

 

P36

 オーストラリアの事件で、オレはいい勉強させてもらったと思っている。本当にいろんな経験をさせてもらった。

 オレは負けるわけにはいかない。だから勝ち続けるしかない。勝ち続けてきたうえで、人生は金だけじゃないんだとはっきり言える。これに気づけているってことは強い。これに気づけてなければ、オレは危なかった。

 金だけじゃないって気づいて、そこであきらめる人もいるだろう。だけどオレは闘い続ける。なんでだろう。

 悔しいからだろう。悔しいから、どっかで白黒つけなきゃいけないと思う。そこが矢沢だ。

 オレだって疲れる。だけど引かない。それはプライドがそうさせているのかもしれない。悔しさなのかもしれない。何が正しいのかまで、めちゃくちゃにされたくないっていう、ひとりの責任ある大人としての気持ちもある。

 だけどそれがなかったら、あとで後悔する。あとで後悔したくないから、疲れても片をつける。

 無くしたものは、もしかしたら、何ひとつなかったね。

 たしかにオーストラリアの事件で三十億円が消えた。残ったのは借金だけだ。だけど、心身ともに無事で、家族も無事で、いい酒を飲みたいときはいつでも飲める。歌も歌い続けられる。結果的にはなにも無くしてはいない。

 金は無くしても、物は無くしても、気持ちは失っていない。大事なのはそれだ。

 物なんて、いくらたくさんあっても、あの世にまでは持っていけない。あれは人間が生きている時にいろんなところにかけて残していくしょんべんの跡にしかすぎない。

 ・・・

 女房がこう言う。

「あなた、すごいわ。あの事件が起きてから、なにひとつ生活は変わっていないのよ」

 家族を守り、スタッフを守る。見に来てくれるオーディエンスに対しては、失望させないステージを見せる。そう考えたら、オレはなにひとつ失っていない。なにひとつ負けてない。金?物?ただの自己満足じゃないか。

 オレは守られていると思う。普通あれだけの事件に遭うと、飛び込み自殺するかもしれない。一家心中するかもしれない。ちょっとおかしくなって当たり前だ。

 実際、オレはおかしくならなかったんだよ。

 事件が発覚したその年も、オレはステージをバリバリにこなしてた。倒れなかった。髪の毛はちょっと抜けたけど、すぐに止まった。たくさん食べて栄養つけて。

 そして。そうよ、オレは歌い続けた。

 オレは運命に愛されていると思う。

 だってそうじゃないか。

 運命がオレを見限っていたら、きっとオレを殺しただろう。精神を狂わせる。ステージに立てないようにする。

 負債と取り立て。こいつは苦しい。

 でも、オレは負けない。

 何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。

 矢沢永吉という役を。

 それをオレはオーストラリアの事件で発見した。あまりに悔しくて、苦しくて、辛かったから。死ぬってなんだ。生きるってなんだ。人生ってなんだと思った。そして思った。オレは矢沢永吉という役を与えられたんだと思うようにした。「そうだよなー。ケツまくって生きるのもスジか」と思って、でかい口あけて笑えるようになった。

 オレは歌える。借金を返すのに何年かかるかなんて、そんなもん、たいしたことない。

 死んだらほんとのおしまいなんだよ、やっぱし。

 

P218

 金が絶対じゃないってことを本当に感じたのはいつごろからだろう。

 人間は一日に三回しかごはんを食べない。ドンペリであろうが、屋台の焼酎であろうが、アルコールが入れば酔う。ただ、屋台しか知らない男にはなりたくない。銀座で飲んで、一晩五十万、六十万でもポンと払うこともできるし、屋台でおでんを食いながら「この焼酎、きくんだよね」という男にもなりたい。その両方を知らない男にはなりたくない。

 オレはいま、自分のことを幸せだと思う。オレはなにかに守られている。

 オレは、サクセスしたら、すべてが手に入ると思っていた。そしてオレはサクセスした。金も入った。名誉も手にした。

 だけど、さみしさは残った。

 おかしいじゃないか。オレは思った。

 すべてが解決するはずなのに、さみしさがあるなんて。ハッピーじゃないなんて。

 こんなはずじゃないと思った。

 そう思ってふと見ると、幸せってレールは隣にあった。オレはそのレールに乗っていなかった。

 それから矢沢の幸せ探しが始まった。

 ・・・

 オレはだんだんわかってきた。

 すべてを手に入れたら、神様は全部OKしてくれるといったのに、ちっとも解決しないじゃないかと思った。だけど違っていた。

「矢沢、横をごらん。オマエはサクセスを手に入れたけど、人間というのは、それに伴う気持ちとか、周りを思いやる気持ちが、背中合わせにあるんだよ」

 そういう声が聞こえた。

 オレは幸いなことに、それに気がついた。

 なんかおかしい、なんかおかしい。

 オレは「アム・アイ・ハッピー?」って自問自答していた。

「アイム・アンハッピー」だった。オレはそのことに気がついていた。

「アー・ユー・ハッピー?」

 オレは自分に聞いていた。オレはハッピーになりたかった。

 でも、何度も何度も自分に「アー・ユー・ハッピー?」って聞いているうちに、仙人じゃないけど、だんだんわかってきた。

「そうだよな。やっぱり間違いねえよ。金は便利なものだけど、けっして絶対的なもんんじゃないよ」

 オレはそう思った。

 

P265

 いろんな人から「部下に三十五億も盗られて、よく人間不信になりませんでしたね」と言われた。

 そうはならないさ。

 オレは「勉強になった」と思った。人を信用しなくなるとか、絶望的になるということと、勉強になったということはまったく別だ。

 たしかに最初はめげた。イヤ、めげたとか、そんなレベルじゃない。「オレはもうダメなんじゃないか……」ドン底だった……。でもいつまでもそうなっていてもしかたがない。それよりも「どうやったらこの状況から脱却できるのか」というところに気持ちが向かった。

 もしここでオレが腐って、ただ人を恨んで、このオーストラリアを恨んでいても、絶対に解決しない。解決しないどころか、たぶんオレは負け犬で終わっちゃうだろう。あのときオレはそう思った。

 絶対にギャフンといわせてやる。この出来事にギャフンだし、「いい勉強になっただろう、お前」ということでギャフンだ。つまり矢沢、オレ自身にギャフンさ。

 こういう気分に行き着けたことは幸せだ。