矢沢永吉さんに影響を受けた方々が、矢沢永吉さんについて語っている本です。
これだけ多くの人に、大きな影響を与える存在であるって、すごいなと思いました。
P71
矢沢ファンの間で有名店となっている大阪・ミナミの『うたまろnoばぁー』オーナーの新井明弘さん(59)・・・新井さんは9年間のサラリーマン生活を経て独立し、矢沢ファンが集うバーを開業したわけだが、その際、「どうせやるなら、とことん自分の趣味でやってやろう」と考えたという。
「矢沢さんの生き方の何が好きかというと、常に新しいドアを開けていこうとするところなんですよ。自分でドアを蹴破っていかんことには、自分の人生は切り拓かれない。そういう生き様がすごい好きですね」
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2006年にイチローとの対談集『イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学』(ぴあ)が発売された。このとき、イチローが32歳で矢沢は56歳。ふた回りも年が離れた矢沢に対し、まったく上から目線の雰囲気がないことにイチローが共感を示すと、矢沢はこんなふうに自分の考えを説明した。
<自分はもっと楽しもうとか、自分がやるべきことがあるとか。自分には、今年はどういうテーマがあるのかなとか。そういう自分に対して新たなテーマがある人は、上から言うだの、言わないだの、歳の差があるだの、ないだのってことすらもないでしょう>
矢沢が常に目指していることは、ライブのステージやアルバム制作において新たな扉を開けていくことだろう。イチローの場合は、常に野球で最高のパフォーマンスを発揮すること。道は違えど、少年時代から変わらず、一番好きなことを夢中でやり続けている点で、両者は共通する。もはやお金や名声の問題ではなく、限界に挑戦しようとする自分との戦いなのである。・・・
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矢沢ファンは皆、口をそろえて矢沢の不屈の精神を称え、勇気づけられたと語っている。自分の人生を呪うわけでも、人を恨むわけでもなく、次に進もうとする矢沢のポジティブな意志に彼らは鼓舞されるのだ。・・・
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これまでも新井さんは矢沢永吉を人生の指針にしてきたわけだが、ピンチのときにこそ、矢沢の言葉が効いてくるのかもしれない。
「こういうとき矢沢さんだったら、どう決断するか、どう立ち向かっていくかっていうことは、常に考えますね。他の人は孔子やニーチェの本を読んで人生を学んでいるのかもしれないけど、僕の場合、生きた矢沢さんを見て勉強してますからね。神ともまた違うんですけど、心の中のバイブルというか、ずっと目標にしている人であり、心の支えになっている人ですよね」
P101
宇多麻美さん(仮名)は毎朝、仕事に行く前は必ず矢沢の曲を聴き、年に数回はコンサートに行くという。ヤザワグッズが好きで、使用するものと保管用を2つずつ買い集めているそうだ。
矢沢永吉に魅せられたきっかけを聞くと、おもむろにボロボロになるまで読み込まれた一冊の本を取り出した。1975年発行に『暴力青春』(KKベストセラーズ)という絶版本である。副題に「キャロルー最後の言葉」とあるように、キャロル解散直後に発売されたもので、メンバー4人が、それぞれの思いを語っている。
3年後の1978年に矢沢は自伝『成りあがり』を発表し、自身の生い立ちや夢を語ったわけだが、『暴力青春』は、その原型とも言える内容だ。・・・
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中学生の頃からキャロルを聴くようになったという宇多さんは、・・・『暴力青春』をパラパラ読んでいるうちに、貧しさから這い上がってきた矢沢のメッセージに引き込まれていた。
宇多さんは7歳のときに交通事故で父親を亡くしている。母子家庭となり、ずっと生活は厳しかった。・・・
・・・矢沢のメッセージに感化された宇多さんは、奨学金とアルバイトで高校に進学する道を選び、自力で未来を切り拓く決心をする。もし、この本と出合わなければ、また違う人生になっていたかもしれないと考えると、まさに人生を変えた一冊である。
今でも宇多さんは、ふと思い出したように『暴力青春』を読み返すそうだ。
「今、それを読むということは、自分の原点にあるものが汚されたり、見過ごされていると感じたときだと思います。そこに書かれているメッセージを心が求めているんでしょうね」
中でも心に響くのが、矢沢の次のメッセージだ。宇多さんは「魂にぐっと入ってくる」と表現する。
<理屈やゴタクを並べるヤツは、金と暇のあるヤツさ。オレにはそんな時間も余裕もまったくなかった。オレの辞書には〝行動〟という言葉しかないんだ>
P136
キャロルを解散し、ソロで活動するにあたって、矢沢は意識的に「色を変えた」という。キャロルの遺産を食い潰していくことを拒絶し、新しい世界を創りあげようとしたのだ。
しかし、ソロデビューアルバム『アイ・ラヴ・ユー、OK』は非難の嵐だったし、コンサートの観客の反応も惨憺たるものだった。その後、こんな言葉を残している。
<最初、サンザンな目にあう。二度目、オトシマエをつける。三度目、余裕。こういうふうにビッグになっていくしかない>
29歳のときの発言だが、この頃の矢沢は武道館公演を成功させ、『時間よ止まれ』で大ヒットを飛ばすなど、まさに「オトシマエ」をつけている真っ最中だった。そして60代になってからは、しばしば「余裕」について語っている。
<いい意味で、肩の力を抜いて楽しもうぜ、みたいな感覚がある。40年、ひたすら真っ直ぐやってきたから、もうそろそろいいんじゃない?っていう意味での余裕>・・・