過去がなければ未来を

確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい (集英社文庫)

 一芸入試でのこの発想、すばらしいなと思いました。

 

P87

 先生に「大学はどうするんだ」と聞かれたとき、大学進学は考えておらず「僕は、自衛隊に入隊します」と答えた。

 ・・・

 すると一週間ほどしてまた先生が「お前、亜細亜大学を受けないか」と言うから「亜細亜大学ですか?聞いたことないですよ、どんな大学なんですか」

一芸一能入試というのが最近できたんだ・・・なんかひとつだけ専門分野を持っていればいいらしいぞ。だからお前の山登りで、奇跡に奇跡が重なれば可能性があるんじゃないか」

 ・・・

 でも競争率が二十倍以上。試験は小論文と集団面接があった。

 小論文のテーマは「湾岸戦争」。これはラッキーだった。なぜならば、湾岸戦争のときに親父はアラビア半島の端っこにあるイエメンという国に日本大使として赴任していた。

 ・・・親父の住む家に手榴弾が投げ込まれ一階の一部が爆破された。幸いにもかあちゃんは二階にいて危機一髪で助かった。

 僕はそのテロ事件のときはイギリスにいて事件を新聞報道で知ったのだが、小論文には「湾岸戦争で唯一テロにあった日本人は僕の家」とかなんとか書き、まるで自分がその場にいたかのように書いた。いたともいないとも書かなかったから嘘ではないが……。そして小論文の最後に「僕たちは最後まで逃げなかった」と付け加えた。面接のときも先生方が「あのイエメンでの爆弾事件は君の家だったのか!」と驚いていた。これは印象的だったに違いない。

 面接は集団面接である。

 先生が五、六人いて、受験生も五、六人。順番に自己PRが始まる。

 ・・・三味線や和太鼓、芸能人などいろいろな分野からトップが集まってきて、自身の実績をアピールする。それに比べ僕のしたことといったら、モンブランキリマンジャロに登ったことくらいで、他の受験生に太刀打ちできるものが何もなかった。

 僕の発表する順番が最後だったのが好都合で、順番が回ってくるまで考える時間があった。みんなの自己PRを聞いていると、一生懸命アピールしているのはこれまでの実績ばかり。・・・ひとつだけ抜けていることに僕は気がついた。

 お?

 大学に入ったら、具体的に何かをするという先の公約がないのだ。・・・

 お?

 それにみんな自慢話のオンパレードだから、先生たちは明らかに飽きている。・・・

 僕の番になり、僕は鞄から紙とペンを出し「一九九二年、亜細亜大学入学」と勝手に書きながらしゃべり出す。・・・

 先生方が「は?」という顔をする。

「九二年十二月、オーストラリア大陸最高峰登頂、九三年、北米大陸最高峰マッキンリー登頂、九四年……、九六年……、そしてエベレスト世界最年少記録」

 ゆっくり紙に書きながら説明した。先生方がきょとんとしている。

 ・・・

 そして最後に、

「僕は過去の実績はありません。過去はありませんが、もし仮に僕が亜細亜大学に入学できましたら、七大陸最高峰に登頂します。先の可能性に賭けてください!もし僕が途中で挫折したら、責任をとって大学は中退します」

 と言った。

 面接官みんなにすごくウケていた。大爆笑。

 それで見事合格するわけだが、最近になって当時の面接官の先生に会う機会があり、「あのときどうでしたか」と聞くと、「本物かペテンかどちらかだと思った」と言われた。

 ・・・

 とにかく、同じ受験生で、日本一とか世界レベルの受賞などの実績のある彼らに差をつけなきゃいけないわけだから、その差を出すにはどうしたらいいかと考えたときに、みんなには過去がある、僕にはない、そう気づいたら「この先」について差をつけるしかなかった。