嫌なこと、全部やめても生きられる

嫌なこと、全部やめても生きられる

 プロ奢ラレヤーさんの本、考えが真っ当だなーと思いながら読みました。

 面白かったです。

 

P4

 僕は現在22歳で、19歳のときに某理系大学を半年で中退したのち、ヨーロッパをほぼカネなしで3か月ほど散歩しに行きました。・・・

 そこから日本に帰国したあとは「プロ奢ラレヤー」として、ツイッターを介してだいたい月50~60人ほどからメシを奢られる生活をかれこれ3年ほどやっています。・・・

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 ヨーロッパから帰ってきた後は、なぜか僕に興味を持った〝友達の友達の友達〟みたいな人たちから「メシ奢るから会おうよ」という〝奢り依頼〟が絶えず、「まあメシ食えるならいっか」という感じで毎日誰かと会って、できた友達の家に泊まるような生活をしていました。

 すると少しずつ「あいつメシ奢れば会えるし、面白いよ」・・・なんていう形でクチコミが広がり、・・・

 ・・・いつのまにか「プロ奢ラレヤー」になっていた僕なのですが、そんな中「奢りにくる人たちが個性的でなかなか面白い」「せっかく面白いのに、ただ忘れてしまうのはなんとなくもったいないな」「なにかサクッとやれることはないか」と考えるようになりました。

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 そんなこんなで、ただ奢られ、それをもとにサクッと簡単な日記を書くだけでnoteから「月3桁万円くらいのお金」も口座に振り込まれるようになり、いよいよ僕もよく分からない人間になってきました。そんなよく分からない僕の元に「ぜひ!うちで本を出しませんか⁈」と出版社の偉い人がやってきて、そこで生まれたのがこの本というわけです。

「毎月そんなに儲かってるってことは、やっぱりタワマンとかに住んで豪遊してるの?」と思われる人もいるのかもしれませんが、そんなことはありません。

 変わったことといえば、フォロワーの家を転々としていたのが、やっと家賃数万円の部屋を借りるようになったこと、保護ネコを飼いはじめたこと、あとはサウナによく行くようになったことくらいのものです。これは「お金を使いたいけど、我慢してる」というわけではありません。単純に、そそられないのです。タワマンに住んだとしても、別に人生の面白さは直接的に高まらない。むしろ、あのクソ長いエレベーター搭乗時間にイライラしてしまいますし、どんなに豪華な寝室も、消灯して寝たら真っ暗です。・・・

 

P156

 昔「ロックマンエグゼ」っていうシリーズもののゲームがあって、僕はそのゲームに、めちゃくちゃはまっていました。それでロックマンエグゼ4を初めてやったときに、パソコンで攻略サイトを見ていたんですよ。

 でもどれだけ読んでも「なんかこれ、ずっと見てるけどよくわかんねえな」と思って、よく見たら僕がずっと凝視していたのはロックマンエグゼ3の攻略サイトだった、ということがありました。生き方指南書の類が大好きな人って、これと恐らく似ていて、自分のやってるゲームじゃないゲームの攻略サイトを一所懸命見て、どこかに自分のゲームの攻略法も載ってないかな⁉と探しているような感じがします。

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 さまざまな人に奢られてきて思うのは、結局は人間が幸せというゴールに近づくためには、「やりたいこと」と「できること」を理解することだけに集中するしかないんですよね。やりたいことがわかり、できることがわかれば、少なくとも不幸になんてならない。逆に、いま不幸な人は全員それ以外のことに集中してしまっているんだと思います。

 何ボタンを押せば攻略できるのかわからないとゲームは楽しめません。そもそもゲームで何がしたいのかその目的がわかっていなかったらもっと楽しめません。自分のゲームは、自分で目的も設定も決められるから面白いんです。その上でゲームの攻略法がわかれば、最高です。

 ではこんな簡単なことなのに、なぜゲームの攻略法を見つけられない人が多いのか?

 それは「べき論」に振り回されているからです。自分の人生のゲームの中に、「~をせねばならない」「~すべき」という謎ルールを自ら持ち込むことで、ゲームを複雑化させてしまう。やりたいことがわかって、やりたくないことがわかれば、あとは遊んでいればいいのに、「やるべきこと」を考えるから急につまらないゲームになってしまうんです。

 自分ゲームの攻略法は、すごくシンプルな方法に集約されています。いろいろなゲームの攻略本を読めば読むほど、自分のゲームの楽しみ方がますますわからなくなってしまうのかもしれません。 

 

P184

「ドゴン族の仮面」ってご存じでしょうか?

 マリ共和国というところで暮らしている民族なんですが、彼らは奇抜な仮面が特徴なんです。ドゴン族はその仮面がかっこよさの象徴であり、それを誇示する民族なんですけど、それをたとえば僕らに対して「お前仮面ないの」って言われても別に腹も立たないし、何も気にならないですよね。「まあ、ありませんけど」としか思わないじゃないですか。

 農耕民族が「持っている牛の数」で張り合っていたのだって、現代で「牛の数」自慢されても「すごいっすね」で終わるじゃないですか。人間は自分の生きている世界とまったく関係のないものを自慢されても、腹は立たないんですよね。

 つまり、マウンティングを取られて少なからずイラっとしたり、悲しい気持ちになるのは、やっぱり自分が気にしている部分だからなんです。ただ、話を聞く限りマウントっていうのは特に終わりもなければ利益も得られない不毛な戦いに感じるので、・・・

 ・・・「あ、これマウント取られてるな」と感じたときは、「この人は今、牛の数を自慢してんだな~面白い人だな~」ぐらいに聞き流しておけば、無駄に感情が揺さぶられないのでオススメです。

 

P190 

 自分に関わる問題を解決しようとするとき、多くの人は萎縮して視界が狭まってしまい、通常時なら解決できることもできなくなってしまうことがあります。

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 それを解決する方法としてオススメなのは、「とにかくすべてを他人事だと考えること」。具体的には「その問題は遠い昔に解決した、というつもりで振り返ってみる」という方法があります。・・・「遠い昔に解決したもの」として「当時持っていたものからどうやって解決したんだっけ」と未来からの視点で考えると、急に視界が開けてきます。

 いろんな人に会って、奢られてきたからこそ思うことだけど、他人の悩みほど、くだらないものはありません(笑)。本人は死ぬほど真剣に悩んでいるようなことでも、めちゃくちゃ第三者の僕からしたら「なにそれウケる」となってしまいます。真剣に相談してくれた人には、ゴメンなさいですけど。

 つまり「すべての問題は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」ということです。

 

P207

「不快なもの」の存在を認めないと、人生は不快で埋め尽くされます。これは極端な例ですが、ゴキブリが近くにいるのはほとんどの人が不快だと思うけど、だからといって地球上にゴキブリが存在していることまで気にし始めると、人生はゴキブリに支配されてしまいます。ゴキブリの存在は認めた上で「あまりゴキブリが近づいてこない工夫」をするしかありません。

 ゴキブリに関しては物理的な距離感なのでわかりやすいけれど、インターネットを流れるコンテンツとの距離感というのは、多くの人が取れていないような気がします。・・・

 「不快なもの」の存在を認める、ということは非常に難しいのかもしれないけれど、自分以外の「正義」も存在するということさえわかっていれば、人生はラクになります。

 基本的に他人に厳しいのは、我慢ばかりしている人です。我慢するのをやめれば、自然と他人にも優しくなれるし、他人に優しい人は我慢する必要がありません。・・・

 自分のなかの正義が発動しそうになっても、「ああ、違う宗派の人なんだな~じゃあ仕方ないか」と思えれば、違う意見を持った人のことも許せるようになるんじゃないでしょうか。