ADHDを「才能」に換える生き方

ADHDを「才能」に換える生き方

 ひとくちにADHDといっても、ほんとに幅広く、一人一人違いますが、武田双雲さんのご両親や兄弟もおそらくADHDで、それぞれちょっと違うことなども書かれているので、イメージしやすい本だと思いました。

 

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岩波 ご両親もADHDなのではないかとお話しされていますが、詳しくお聞かせいただけますか。

武田 父も母もその傾向があったと思います。母のほうがその傾向は強いかも知れません。

岩波 ご兄弟はいらっしゃいますか?

武田 3人兄弟で弟が2人います。

岩波 弟さんたちはいかがですか?

武田 次男はずっとしゃべり続けていますね。Clubhouseをやっているのですが、空気なんて一切読まず、誰ともかかわりなく持論をぶちまけています。僕から見ても「異常値に達しているのでは?」と思うくらいです。彼は過去に6年間くらい引きこもりました。

岩波 実生活で失敗を重ねて、それを気にしすぎてしまったのかも知れませんね。先ほど武田さんも中学・高校でクラスメイトや部活の仲間に受け入れられなかったというお話をされていましたが、それがきっかけで引きこもりになってしまう方は一定程度います。

武田 うちの弟もそうだったのでしょうね。

岩波 三男さんは?

武田 三男はそれほどひどくないです。が、総じてうちの家族は普通ではないなと思います。

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 父母ともに計画性がまったくない人たちなんです。僕もそうなのですが、行動が衝動的だと思います。

 ただ、両親もADHDだったのが僕にとっては救いになっていたように思います。普通の親であれば、息子がこんなふうに落ち着きがなくて、世の中で「常識」とされていることが何一つわからないようだと、毎日叱り飛ばして「どうしてうちの子はこんななんだろう」と心配で仕方ないと思うんですよね。

 ところがうちの両親は叱ったり心配したりすることは一切なくて、逆にずっと僕を褒めてくれたんです。「お前、天才!すごかー!」って言われたことしかありません。今でも両親は、「お前は生まれたときから光っとった」「光をまとって生まれた」「神の子じゃないかと思った」って、真顔で言います。本気でそう思っている。

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岩波 ADHDのお子さんにとっては、またとない成育環境ですね。

武田 本当にありがたかったと思っています。普通なら子どもの顔を見たら「勉強しなさい」と言いますよね。「お前の将来のために」と。そもそもうちの両親に「将来」という概念がなかったからなのかも知れませんが、本当に一度も「勉強しなさい」も言われたことがないです。

 そうではなくて、「お前、すごか!」って毎日僕がすること、言うことに感動してくれていました。もっとも父親の場合、何にでも感動するんですけどね。「こんなおいしかキュウリ、食べたことなか!すごか!」って夕食のキュウリにも大感動です。僕への礼賛とキュウリのおいしさへの礼賛がまったく同じっていうのが笑えます。スポーツのルールなんかまったくわかっていないくせに、試合後に選手たちが涙を流しているのをテレビで見て号泣する、なんていうのもよくあります。

岩波 お母様はどうでしたか?

武田 母は衝動性がかなり強かったと思います。「どうして今、こういうことをするの?」っていうようなことを突然やるんです。

 この間、実家に帰ったときも、僕がアイロンをかけていたら突然、僕の頭に水をかけてきたんですよ。意味がわからないですよね。やりたくなったら考える前に手が出てしまうのでしょう。だからやっぱり多動というより、衝動性が強いんじゃないでしょうか。

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岩波 ADHDの特性を持つ方は、うつになる確率が高いんですよね。トータルで見ると、うつ病と不安障害などを起こしやすいです。

武田 それはわかります。僕は性格的に強いわけではないので、エネルギーは高いけれども、自分に非常に自信があるわけでもなく、負けん気が強いわけでも、積み上げてきたものに強烈な自負を持っているわけでもありません。だから弱気になるととことん弱くなってしまうんです。なのでうつになる人の気持ちはよくわかります。

岩波 ストレスフルな状況に置かれるのを繰り返すことで、うつを発症してしまうんです。また、やりすぎてしまうことで燃え尽きる人もいます。

武田 やりすぎるというのもよくわかります。最近ではとあるゲームにハマりました。中毒みたいになってしまって、ゲーム機を置いたら手が震えるので無我夢中でやり続けました。手を壊して病院に行く羽目にもなりましたよ。日本で4位まで行ったかな。それにはいまだにはまっていて、黄色を見ると反応してしまいます。

岩波 過剰集中ですね。これもまたギャンブル依存の引き金になります。

武田 絶対危ないですよね。まだゲームでよかったです。

岩波 アルコール依存、薬物依存に至る可能性もありますしね。

武田 怖いですね。僕も今回のことでは「抜け出せないかも知れない」と初めて思いました。完璧に依存症ですよね。1日8時間くらい普通にやっていましたし、子どもに声をかけられても耳に入ってきませんでした。普段、僕は「やさしくていいパパ」と子どもたちに思われているのに、イライラしている姿を見せつけてしまいました。

 自分では平和主義者で人と争うのが嫌いだと思っていたのに、ゲーム依存になっていたときはめちゃくちゃ性格が悪くなった。普段のおおらかさは陰をひそめて気は小さくなるし、何もかもうまくいかない気分になりました。

岩波 女性のADHDの人には、買い物にはまってしまい、お金をガンガン使ってしまう場合もあります。買い物依存ですね。

武田 僕の場合、買い物依存というのとは違うのかも知れませんが、同じデジカメを4台買ってしまい、息子にそれを指摘されたことがあります。

岩波 買ったのを忘れてしまったんですね。今も、忘れものやなくしものは多いですか?

武田 ズボンのチャックはよく閉め忘れます。・・・

岩波 最近、大事なものをなくした記憶はありますか?

武田 いっぱいあります。パフォーマンス用の巨大な筆を電車に置き忘れました。アメリカに持っていくはずのアタッシュケースを同じく電車に置き忘れ、パスポートと財布だけ持って飛行機に乗ったこともあります。その帰りにもやらかしました。一緒に行った仲間に「俺さ、最近、軽くしているんだ。ミニマリストだからさ」と言ったら「え?でかいお土産の袋、持ってなかった?」と言われたんです。「いやいや、俺、そんなことないから」「いや、さっき、カフェで持ってたじゃん」みたいなやり取りがあり、聞いていた人が走って取りに行ってくれたんです。

 手荷物のすべてを電車に置き忘れたことも。それも一緒にいた人が取りに行ってくれました。いつも周りの人を走らせている感じです。

岩波 ご自分で何か対策を取っていますか?

武田 対策のしようがないんですよ。荷物タグを買い、荷物にぶら下げたのですが、気がつくとないんです。多分、無意識のうちに外しているのだと思います。

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 今は秘書が2人、それに妻と合計3人で常にチェックしてくれています。

 この体制になってから、忘れものはだいぶ減りました。以前は新幹線のチケットをなくすのはしょっちゅうだったのですが。

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武田 僕には、苦しいことをやるという気持ちがありません。・・・

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 苦しかったらすぐにやめるので、基本的に苦しみは持続しません。・・・

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 書道でも、ある先生に「本来、書道って楽しいものじゃないんですか?」と言ったら、「そんなものじゃない!」と本気で怒られて面食らったことがあります。

岩波 その先生はどういうものだとおっしゃったんですか?

武田 コツコツと苦しみながら積み重ねるものだと。

岩波 道を究めるみたいな感じ。

武田 頑張って頑張って、先人たちに追いつこうとするその努力こそが大切だと。

 でも、僕にはその言葉、一つも心に入ってきませんでした。僕が筆だったら、そういう人には持たれたくないだろうなと思います。どんな人に持たれたいかと言ったら、そりゃ楽しんでくれる人ですよ。筆である僕を持ったときに、心をワクワクときめかせてくれる人。神様の視点から見たときも、そうなんじゃないでしょうか。そんなに苦しんでほしいわけじゃないのでは?

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 みんなが「当たり前」と思っていることがわからなくて、怒られた経験は数知れずあります。昔、NTTに勤めていたとき、「みんなもっと楽しみましょう」と言ったら怒られました。

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 ・・・それと会議の意味もわかりませんでした。「この会議に何の意味があるんですか?」と偉い人に聞いたら、これまた雷が落ちたように怒られました。「そんなこと聞くな!」って。

岩波 それは、まぁ、そうなるでしょうね(笑)。

武田 だから僕は浮いてしまうんですね。社会の中には暗黙のルールというか組み立てられた流れがあるので、そこで「何で?」と意味を聞いてはいけない。

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 僕は以前、家族でカリフォルニアの田舎町に滞在して、子どもを現地の学校に通わせたことがあるのですが、みんなADHDみたいなんですよ。好き勝手にしゃべるんです。

 一番驚いたのは、生徒たちがいろいろ勝手なことをしているときに、先生が「うわーっ!」って興奮してダッシュして、校庭の栗を拾い始めたことです。そして「自然はすごいんだ」みたいなことを突然言い出すんです。生徒たちはボケーっとしてました(笑)。

「え?先生、ADHD?」みたいな感じです。うちの両親がそういうタイプだったので、「先生がこんなことする?」という衝撃とともに、心地よさというか、すごいなつかしさを感じました。

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 都会になるとダメですね。僕はニューヨークもパリも、窮屈でダメでした。住みたいと思ったのは、全員ADHDみたいなカリフォルニアの田舎でした。