50歳になりまして

50歳になりまして (文春e-book)

 光浦靖子さんのエッセイ、面白かったです。

 なんとも絶妙な視点というか角度というか・・・

 

P120

 去年の年末、コロナがまた勢いを増したせいで実家に帰ることを諦めました。仕事もない。飲みにも行けない。友達とも遊べない。今のマンションから徒歩5分の妹宅から「やっちゃん、一緒に紅白見ようよ」なんて姪っ子から誘いがあれば、出かけて行ってもいいけどぉ、と自分からは連絡を取らずにいたら、一向に連絡が入らず、もう大晦日の夕方だよ、となりました。カラスがバカみたいにカーカーカーカー鳴いていました。ぼちぼち、夕飯の準備をしなければ。でも、何かご馳走的な物を作ると、なんかこう寂しさを増長させそうで、クリスマスの時にもやったお得意の「あ、うちには5年くらい前から大晦日も正月も来なくなったんですよ」ザ・無視作戦でいくことにしました。大晦日だというのに、根菜とキノコの味噌汁と、ブロッコリーをチンしてマヨネーズをかけたものと、豚肉と豆もやしを炒めたもの、そんなもんで十分でしょう。駅前のスーパーに買い物に行きました。

 入り口の、いつも仏花と、スプレーカーネーションにかすみ草というダサい取り合わせの花束を売ってるコーナーに、正月っぽい花がありました。細い松1本、花キャベツ1本、白い菊1本、金色にスプレーされた枝1本がセットになっていて630円でした。買いました。

 この街は住宅街です。戸建の住宅はいっぱいあるけど、店が全然ありません。商店街もなく。駅前にスーパーがあるだけです。花屋もありません。寂しいです。

 私はちょいちょい花を買うんですね。特に、落ち込んだ時に花を買うようにしています。花を見て元気になるんじゃなくて、買うことが大事なんです。だって、花を買えるということは、金銭的にも気持ち的にも体力的にも時間的にも余裕がある、という証明ですからね。自分はまだまだ余裕がある、大丈夫じゃねーか、追い詰められてない、ということを再確認するために花を買うんです。花が買えれば、もう、それがゴールです。

 花屋の匂いっていいですよね。結構地味で、香水や柔軟剤の花の匂いとは全然違うんですよね。青々とした野菜と水の匂いがするんですよね。花は完璧ですよね。花はぜーんぶ好き。南国の食虫植物と、ラフレシアとか蘭とかみたいな点々の柄のあるやつ以外はぜーんぶ好き。ああ、そういえば私は子供の頃花屋になりたかったんでした。「花屋さんになりたい」私が言うと母親が言いました。「花屋は、いつも水を使って、手があかぎれになったり、しもやけになったりするから、やっちゃんには無理だ」と。

 変わった親だったんだと今、思います。子供の夢なんか、なんでも「いいねぇ」「すごいねぇ」でいいのに。それに科学的にも証明されてるでしょう。肯定した方が、褒めておだてた方が、脳はよく働くって。希望もよく却下されました。私は男と拳で対等になりたい、強くなりたかったので、スポーツ少年団では空手を習いたかったのですが「空手は裸足だから。冬はしもやけになっちゃうから、やっちゃんは無理だ」と、軟式テニス部に入れられました。どんだけしもやけの心配してんだよ。ま、確かに、子供の頃は瘦せっぽっちで、血行も悪く、冬はしもやけになりましたけど、あのド田舎の、真冬でも半袖ではしゃげる、何かあれば裸足で走るような頑丈な子供らの中に入れば体が弱いとされますが、全国的に見れば普通です。

 母親は型にはめる人でした。4歳下の妹は、明るく、運動神経がよく、原色が似合う子。私は、おとなしく、地味で、淡い色が似合う子。藤色のカーディガンや、山吹色のカーディガンを着せられていました。そして、要領はよくないけどコツコツ頑張る子で、大人になったら役場か農協に勤めて、お見合い結婚をする、と。人生も性格も全部決められていました。こんな話をテレビでちょこっとしたら、毒親だ‼と意見が来ました。毒親ではないと思うんです。一見普通の、ちょっと変わった人だと思います。

 母親は「やっちゃんを花に例えると、小さいマーガレットだね」といつも言いました。小さいマーガレットって、庭によく植えてある、真ん中が黄色くて花びらが白くて、まさにマーガレットの縮小版のような、ノースボールという花です。実際、うちの庭とも呼べない庭に植えてありました。ほっとけばどんどん増えるやつです。

 母方の親戚が農家で、電照菊を作っていました。あの、立派な葬式で使う、一花一花和紙で包んだ高級な菊です。菊ってすごく綺麗なんですよ。深緑の茎がまっすぐピーンと立って、一番上に、溢れるように花が咲くんです。匂いもいい。でも、どうにもこうにも葬式のイメージが強くて。菊の温室に入って、あったかい湿ったむわーんとした空気と、むせかえるような菊の香りを吸うと、異世界に連れて行かれそうでなんか非常に怖くなったものでした。

 ノースボールもキク科なんですよね。子供の頃って、女の子はとにかくピンクが好きじゃないですか。白くて小さな菊みたいな花は私には地味に見えて、でも母親は褒め言葉のトーンで話してるから、ま、嬉しいか、そんな風に思っていました。大人になった今、人様の家の前を歩く時、ノースボールを見つけると「頑張れ」と心の中でエールを送っています。

 2月になりました。あの時買ったお正月セットが、まだまだ生き生きしております。菊なんかまだ7分咲きの状態で、本当に美しいです。葉っぱだって、1枚もしんなりしておりません。弘道お兄さんの背筋くらいピーンですよ。なんとコスパの良い花なんでしょう。だからか。だから、お葬式やお墓に飾る花になったのか。ほっといてもずーっと美しいから。

 お母様。安心してください。靖子はノースボールのように、まだ真っ白いまま、ずーっと地味に咲き続けておりますよ。あ、だから安心できないのか。そうね。そろそろね。彼を紹介しに行きますよ。

 そういえば、私の旦那さんも決められてたなぁ。「やっちゃんの旦那さんは、優しくて、体が大きくて、頭が良くて、熊みたいで、ちょっと顔の悪い人」って。なんでちょっと顔が悪いんだよ!ここで終わってたら、ま、普通の母親ですわな。もう一言付け加えがありました。「なんで頭がいいかというと、やっちゃんの良さは、ちょっとわかりにくいから、頭が良くないとわからないから。私ら親だって、なかなかわからんかったもんね。ねえ、お父さん」「ああ」どひゃ~(コケる)。

 また毎年恒例の雑煮問答ができますように。

母「やっちゃん、お雑煮のお餅幾つ?」

私「うーん……3つ」

母「無理だね。2つだね」

私「じゃあ、なんで聞く?」