いのち

ことばのくすり~感性を磨き、不安を和らげる33篇

 このあたりも印象に残りました。

 

P141

 ・・・「眠り」は人生のメインとなる行為です。起きている時間など、眠りのおまけのようなものです。多くの方は逆に考えていますが、起きている時は社会に適応している時間に過ぎません。ある意味では自分自身を見失っている時間でもあると理解してほしいと思います。眠りの重要さを強く意識することで、眠りの質が深まります。眠りにも質の差があることがわかれば、日々をどう過ごすかがよい眠りのための助走であるとわかります。・・・

 深い眠りは、あなたの「いのち」を揺り動かします。それはまるで、別人に生まれ変わったかと錯覚するほどの体験です。また深い眠りによって、無意識へと潜りこむことができます。同時に夢を見ることができます。それはイメージ世界を媒介に、無意識のエネルギーを意識の世界へと浮上させていく行為でもあるのです。時には、日々生きていくヒントさえ夢から受け取ることができます。

 あなたの「いのち」は、常に今ここにありますが、「いのち」の核心部に近付いているのは眠りの時間なのです。夢を現実のように生きて、現実を夢のように生きれば、人生は捨てたものではないと感じられることでしょう。

 

P167

 植物を観察したり、自分の仕事を振り返ったりすることのほかにも、生き死にを考える機会はあります。例えば、水木しげるの『のんのんばあとオレ』(筑摩書房)という作品を読む時です。その中で描かれる、のんのんばあと水木少年との問答の中に、私の感じたことそのものが出てくるのです。水木しげるが少年だったころ、死は誰にとっても他人事ではなく、切実な自分事でした。次に紹介するのは、東京から病気療養に来ていた千草という少女が亡くなった時の会話です。

 

しげる「なーんもする気が起きんのだ」

のんのんばあ「それはなあ 千草さんの魂がしげーさんの心に宿ったけん心が重たくなっちょるだがね」

しげる「魂は『十万億土』に行くんじゃなかったんか」

のんのんばあ「大部分はそうだけど 少しずつゆかりの人の心に残るんだがね でも しばらくすると その重たさにも慣れるけん 心配はいらんよ」

しげる「ふーん」

のんのんばあ「身体は物を食うて大きくなるけど 人の心はなあ いろんな魂が宿るけん 成長するんだよ 小さい頃からいろんな物を見たり触ったりしてきちょるだろ 石には石の魂があるし 虫には虫の魂があるけんなあ そげんさまざまな魂が宿ったけん しげーさんはここまで成長したんですなあ」

しげる「…………」

のんのんばあ「でも ときに宿る魂が大きすぎることがあってなあ」

しげる「いまのオレか……」

のんのんばあ「これから先はもっともっと重たい魂が宿るけんなあ」

しげる「もっと⁉」

のんのんばあ「でもしげーさんの心も その重たさをもちこたえるぐらいに大きくなって大人になっていくんだでね」

 

P170

「これは痛みを和らげる薬ですよ」と偽ってただのビタミン剤を与えても、実際に痛みが緩和してしまうことがあります。これをプラセボ(プラシーボ)効果と言います。英語のplaceboは、ラテン語の「喜ばせよう」に由来しています。ここから意味が転じて、気休めのための薬や処置、偽薬などの意味で使われるようになりました。

 ・・・私は、プラセボ群でも一定の効果が必ず出ていることに驚き、注目していました。・・・そこに、人間の自然治癒力が持つ新しい可能性すら感じます。薬の効果はもちろん大事ですが、プラセボ群での効果も同程度に追求する価値があるだろうと思うのです。