空っぽ

寂聴さん最後の手紙 往復書簡「老親友のナイショ文」

 

 この辺りも印象的でした。

 

P171 

 ・・・僕は輪廻転生や魂の存在を信じることで創造が成立します。この物質的現実から分離されたもうひとつの見えざる現実の存在を否定しては創造は成立しません。見えないものを見えるように描くのが僕の商売です。そのためには僕は常にこの二つの領域に足を掛けながら創作に向かっています。物質的世界に対して非物質的世界のなかに宇宙を体感するのです。

 ここでもう一度魂について考えます。人はどう思うか知りませんが、創造におけるインスピレーション(霊感)は今生の肉体的、精神的体験のみによって受信されるものではありません。肉体に宿る魂からの発信がなければ、本当の創造はできません。魂それ自体の記憶と経験の助力があって、初めて芸術作品が誕生するのです。言い方を変えれば、過去世からの情報によって、われわれの作品は未来へと進化、発展するのです。そのためには、今生しか存在しない、だから今生が全てという考え方は、間違いではないですがほんの一部にしか過ぎません。

 だからわれわれ美術家は他次元に於いても多面的でなければなりません。多面的というのは宇宙的でもあります。もっと言えば創造の根源は宇宙であると言えます。宇宙は何でもありの世界です。ねばならないという一元的な世界ではないのです。そして宇宙は人間に成るように成るという自由を与えてくれています。

 

P183 

 頭を空っぽにして、・・・怠惰な日々を過ごしている時、フト頭というか意識のなかにある強烈なイメージが浮かびました。確信に満ちたビジョンです。まるでテレパシーのような絶対的な印象です。それがこの書簡でも度々書く「寒山拾得」です。絵など描きたくないのに、まるで描けといわんばかりに威張って僕の意識に銃弾を打ち込むのです。もう描くことはないし、飽きているはずです。「何んじゃ、これは?」

 僕は描く意欲も好奇心もありません。向こう(誰だか知らないが)が描きたいだけの話で、僕の問題じゃないです。でも頭に齧りついたように、僕の意識から離れようともしません。「どけ!」と言ってもどきません。

 仕方ないのでキャンパスに向かいます。強迫的なキャンパスに!そしてできたのが「寒山拾得」の絵です。今までのように描く絵の主題も様式も考えないまま、描きたくないので殴り描きです。そんな嫌々描いた「寒山拾得」の絵が次々と出来ていきました。絵など描きたくないという究極の心境になった時、何かがパッと開いたんです。・・・

 

P188 

「健康のために何かしていますか?」と担編さんこと鮎川さんから来た質問です。「ハイ、何もしないことをしています」。健康に拘ること自体が不健康です。そんな時間があるならアトリエのソファにゴロンと横になって、一向に進まない時間を貪っていたいです。

 先ず健康といえば時間と関係があると思います。僕は今日現在健康です。なぜかというと時間が静止したように一日の時間が長いからです。不健康な場合は時間が短いです。反省したり後悔したり、あれこれ取り越し苦労は時間に支配されている証拠で、時間を縮小してしまいます。時間を支配できれば時間を止められます。絵を描くことは時間を止めて、時間を支配することなんです。

 昔、元巨人の川上哲治さんは投手の投げた球が止まって見えると言いました。つまりボールのスピード時間を止めるのです。そしてボールを止めたところをガツンとバットで叩くのです。これができるのはあれこれ考えないからできるのです。天才アスリートは、皆、時間を支配する能力を持っています。時間を思い通りに自分の配下に置いて支配するのです。そのためには健康でなければなりません。だから健康と時間は両輪なんです。それを僕は宇宙時間と呼んでいます。健康も時間も宇宙を介在させると思い通りに支配できます。だから考えないことが大事なんです。・・・

 ・・・

 時間を忘れることは健康原理のひとつだと思います。時間に縛られることは自由の放棄ですから、死を考えることに結びつきます。老齢を上手に生きた人は時間を忘れます。・・・死の概念の乏しい猫などは死が迫っていても死ぬ瞬間まで健康でいられるんじゃないでしょうか。本当に健康な人は、気がついたら死んでいた、と思う人ではないでしょうか。あやかりましょうよ。

 

ところで、明日から開催されるエクスプロレーション27

https://www.aqu-aca.com/seminar/exploration27/

のお手伝いに行ってくるので、1週間くらいブログをお休みします。

いつも見てくださってありがとうございます(*^-^*)