作家の口福

作家の口福 (朝日文庫)

 いろんな作家さんの食べ物にまつわるエッセイが集まった本です。

 美味しそう~という話が多い中、この2つはなにか印象に残りました。

 

 こちらは古川日出男さん

P44

 猫を飼っている。一緒に暮らしはじめて今年で十七年め、しかもノラを拾ってきたものだから実年齢はわからない。そいつが春先に倒れた。腎不全の発作だった。瞳孔も開いてしまい、本当に危篤状態に陥ったのだが、幸いすばらしい治療を受けることができ、一命をとりとめた。

 とはいえ、もう年も年だし、ヨボヨボなのは仕方ないのだな、と思った。こんなふうに冷静に文章を綴っているのだが、本当はボロボロ泣きながらその時の僕はそう考えたのだ。

 数年前から市販のキャットフードを与えるのはやめて、手作りの猫飯にしていた。が、腎不全の問題があったので、この発作後は腎臓をサポートする医療食に切り替えた。「食べてくれるかどうか」が不安だった。なにしろ発作の一、二カ月前から完全に食欲が落ちていたのだ。それが新しい味なんて……。

 食べた。

 こちらの懸念など「なんですか、それは?」的な顔で、パクついた。正直、僕は唖然とした。ヨボヨボだった体が、一週間でそこそこの肉付きに戻り、なんだか家中を走り周りはじめた。だが、さらに一週間が過ぎると、旺盛すぎる食欲がこの猫におかしな作用をもたらした。とにかくギラギラしているのだ。ある日、唐突に噛みつかれた。こんなこと、初めてだった。親馬鹿みたいな告白だが、「いい子」だったのだ、こいつは。おまけに寝ない。しょっちゅう冷蔵庫のまわりをウロウロして、飯を出せ、飯を出せと鳴いている。

 お前、どうしちゃったんだよ?

 若返った気持ちになっているのは、わかる。そして体力が回復しているのも、わかる。だが、ギラギラしているのがわからない。なんだか発作の時とは逆の意味で泣けた。

 しかしながら、この精神状態をもたらしているものも、わかる。食にちがいない。というわけで、暫定的に以前の食に切り替えてみた。

 二日で「いい子」になった。

 それからは様子を見つつ、試行錯誤を繰り返しているのだが、動物ですら食がその性格(精神状態)を決めるのだ―との事実を突きつけられて、けっこう呆然としている。いわんや人間をや。牛肉ばっかり三食続けて食べたら俺どうなるんだろうとか、トマトだけで一週間を過ごしたら……とか、ついシミュレーションしてしまう。いちばん考えるのは、長期的な幸福感をもたらす食ってなんだろう、だ。好物?僕は冷麺が好きなのだが、冷麺だけ一週間で二十一食とか食べたら、どんな性格になるのだろうか。

 

 こちらは江國香織さん。

P170

 三カ月か四カ月に一度くらいの割合で、でかけるインド料理屋さんがある。インド料理屋さんにありがちな、豪華絢爛、もしくはキッチュな内装ではなくて、シンプルかつシックな佇いの店で、静かなことがまず気に入っている。

 そこのタンドリー・チキンは絶品で、一度知ってしまうと他の店のそれはたべられなくなるほどだし、スパイスのきいたシーク・カバブもすてきにおいしい。こっくりしたカレーはどれも滋味豊富な味がする。最初は甘いのにたちまち汗ばむ辛さのチキン(もしくはエビ)バンダルーとか、新鮮な風味のするなすと生スパイスのカレーとか。焼きたてのナンがまたおいしくて、バターのきらめく熱々を、私は何もつけずにまずかじる。

 どの料理もひっそりと味がよく、味覚だけではなく身体全体が、陶然となるのが自分でわかる。

 小さい店で、インド人のおじいさんが一人でやっている。・・・このおじいさんが、何ともいえずいいのだ。物腰も言葉つきもやわらかく、笑みにつねに含羞がある。万事控え目で上品で、商売っけというものが全く感じられない。大丈夫か?と思うくらいおっとりしている。やんごとない、というか、悠揚せまらない、というか、ともかくどこかが決定的に優雅なのだ。

 ごく最近、私はその店ではじめてお手洗いに入った(子供じみた話だけれど、私は自宅以外の場所でお手洗いに入るのが苦手で、だからたとえよく行く店でも、お手洗いがどんなふうかは知らない場合が多い)のだが、きわめて清潔だったその個室の、壁の貼り紙に書かれた文章を読んで、胸打たれた。そこには、たおやかな手書きの文字で、こうあった。「備えつけのトイレットペーパー以外のものは、お流しになりませんように。また、あやまって物を落とされた場合は、御遠慮なさらず、お慌てにならず、水を流す前に店の者にお申しつけ下さい」

 なんて美しい日本語だろう。

 私はしばし見惚れた。「御遠慮なさらず、お慌てにならず」。いたわりに満ちた言葉だ。注意書きなのに、お礼を言いたい気持ちになる。そして思った。料理には、やっぱり人品骨柄が滲みでるのだ。厨房でのおじいさんの実直で丁寧な仕事ぶりと、貼り紙の日本語の美しさ、豊かさと上品さ、は、絶対につながっている。