アフロヘアで有名な稲垣えみ子さんが、フランスのリヨンで2週間、日常のように生活してみたらどうなるか?という記録、面白かったです。
P136
店に入ると、広いフロアは朝からほぼ満員だ。わずかに空いていたスツール席に腰掛けると、さっきのギャルソンがニコニコしながら注文を取りに来てくれた。嬉しい。アンキャフェと注文すると、すぐに小さなデミタスコーヒーを持ってきてくれて再びニッコリされる。ああ本当にいい人だよ……。
ようやくホッと落ち着いて、店内を観察する。
なんだか不思議な店だった。
一人客が多い。年齢も性別も様々である。立ったままコーヒーをクッと飲んでさっと帰っていく人もいれば、新聞を読んでゆっくりしている人もいる。カウンターで店の人と陽気におしゃべりしている人もいる。つまりみんなやっていることはバラバラなのに、誰もがリラックスしている。満員の客でわさわさガヤガヤしているのにうるさくない。昨日のブラッスリーとは違い、空気がしっとりと暖かい。
その理由はすぐにわかった。
原因は、さっきの愛想のいいギャルソンである。
彼は「いい人」なんてもんじゃなかった。大活躍であった。私だけじゃない、彼はどんなお客さんにも同じ笑顔で挨拶をして、常連さんにはハグしてあれこれ近況を尋ねている。なのでこのお店にはひっきりなしに老若男女様々な常連さんがやってくるのであった。特に目についたのは、杖をついたお年寄りである。おじいさん、おばあさんが次から次へと一人でトコトコやってきてはギャルソンにニッコリと歓迎を受け、満足そうにのんびりと席に着く。そして顔見知りを見つけて笑顔を交わし、やあやあと声を掛け合っている。
ふと、母に先立たれて一人暮らしとなり、しきりに寂しさを訴えるようになった我が父のことを思い出した。
父の近所にもこんな場所があったらどんなにいいだろう。何の目的もなくても、毎朝200円のコーヒーを飲みに行くだけで大歓迎される場所があったなら、人生の孤独は全く違った様相を帯びてくるに違いない。ああここにやってくるお年寄りは本当に幸せです。あの親切なギャルソンは一人の力で、多くの人に「居場所」を作っているのだ。大袈裟じゃなくて、本当にたくさんの人の人生を支えているのだ。
私は心底感心してしまった。
で、フト、これってどこかで見た光景だなあと。
そうだよ。これって私が毎朝お世話になっている我が近所のカフェと同じじゃないの!
店主のタムちゃんは、初めて来るお客さんにも、常連さんとの会話に自然に入っていけるように気を配っていて、だからそこには若い人も、お年寄りも、外国人も、赤ちゃんも、犬も、本当にいろんな人がやってきて、みんなすぐ仲良くなってしまう。で、私もその中の一人なのだ。そうだった。東京で私が何とか孤独を感じないで暮らしていられるのは、私が努力したとか、感じよく振る舞ったとか、チャーミングなお人柄であるとか、そういうこと以前の問題なのだ。そもそもタムちゃんのようなスゴイ人が店にいてくれるおかげ以外の何物でもないのである。
そして、世の中には洋の東西を問わず、同じようにスゴイ人がいたのであった。その人たちのおかげで、やはり洋の東西を問わず、多くの人が助けられながら暮らしている。