僕は僕でしかないのに何を変われと言うんだろう

ありのままがあるところ

 この辺りに書かれていたこと、「むしろ完成は喜びではなく悲しみのようでもある。このことは、作り手として健全であり、最も大切なことを知っているように思う。」など、深く響きました。

 

P77

 規則を離れ、自由に対する肯定的価値観が自身に入り混じり始め、動揺するようになった背景には、やはり「これはおもしろい」と感じられる出来事が工房を始めとして、そこかしこで見られるようになっていたからだ。というよりも、それまでは同じ事象を見ながらも「おもしろい」と感じていなかったのだ。利用者の行動に対して「そういう視点があったのか。そういう価値観で行動していたんだ」ということがわかり、驚くに従ってこちら側の見方が変化してきた。

 たとえば、布の工房では、刺繍を施した布を使って職員がバッグに仕上げている。刺繍をしている人は、この刺繡がバッグになることを知っていると思っていたが、あえて「何を作っているの?」と聞くと「刺繡だよ」と答える。バッグという製品になることには興味がないのか、刺繍が終わると彼女の作業は完結するのだ。彼女にとっては刺繍だけでその先がない。刺繡という行為だけが好きで、バッグが出来上がることを楽しみにしてはいなかったし、眼中にはなかった。私たちが求めていた先にあるゴールである「何かのため」に刺繍してはいなかったのだ。・・・

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 ・・・こちら側には見えていない世界が向こうには広がっているのに、それが見えていない。

 健常者の世界はかなり小さく狭いのだと思う。・・・

 

P111

 ここ数年、「障がい者施設をどうすればアート化できるんですか?」という質問を受ける機会が増えている。・・・

 アートにまつわる要望の背景には、障がいのある人に「生き生きとしてほしい」とか「アートの商品化で成功したら就労につながる」という考えがあるのだろう。いずれにしてもアートを活用すれば、精神的にも経済的にも自立につながるという期待がありそうだ。

 そのような時流があるからこそ、自立の取り扱いには十分に注意したほうがいいのは間違いない。とかく障がい者の自立に関して議論されても、「彼らはもともと自立している」ことが見落とされている。彼らの中には自分はこれでいいと最初から思っている人が多いからだ。

 むしろ、自立できていないのは「自分はまともだ」と思っている私たちの方だ。自分に何かしら不満を持っていて自信がない。その中身はと言えば、過剰な情報によってすぐに他人から影響を受け、感化されてしまい、たやすくぶれる。

 働くとは何か。

 私たちはそれと自立とを簡単に結びつけてしまう。けれども、それぞれについてとことん考えてはいないだろう。気をつけて欲しいのは、アートと自立をただちに結びつける前に、それぞれの意味するところやそこにかける期待の中身をわかっておかないといけない。そうでなければ自立とは真逆のことが起きてしまう。私の三〇数年間の経験を懺悔の気持ちから振り返れば、能力の発達を促すことがかえって彼らから自立する手段を奪ってきた。ぐちゃぐちゃに縫えるという自立した手段を持っているにもかかわらず、「まっすぐでなければいけない」というまともな社会性の枠の中で捉えてきた。それでは、いつまで経っても利用者を「自立できない人」として位置付けてしまうことにしかならない。

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 彼らは、どこに行っても自分の態度をほとんど変えないし、変えられない。・・・「僕は僕でしかないのに何を変われと言うんだろう」と自分自身を堂々とはっきり相手に伝えているように見える。

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 自立の柱は人を変えようとするところではなく、「自分は自分のままである」ということ、そこに作られるべきだ。そのためには、自立を考える前に「幸福とは何か」を私たちが考え続ける必要がある。そのキーワードは「変わらないこと」だ。つまり、人を変えるのではなく、その人がより自分らしさに近づいていくこと。それを手伝うのが自立支援である。

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 木の工房で人の顔を彫り続けている人がいる。・・・

 動じない。そうした態度を見ていると、どうやら彼らにとって「うまくいかないこと」に向かわないだけなのだ。「こうしなければならない」や「どうしたらうまくやれるだろうか」といった狙いをもとに行動しない。狙わないから外れることがない。・・・目的がないままの状態に居続けられるということは、実は本人にとって物事がうまくいっているということなのだろう。自信をもって生きていける源になるのは、「やりたいからやる」という、そういう本能に基づくところだと思う。

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 ・・・「やりたいからやる」という、目的を持たず意味のない創作は強度を生む。意味づけした表層がないからリアルなのだ。何を生み出そうとしているのか、自分自身もわからないまま、内面が浮き出た汚れのない美がある。

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 彼らは創作が終わると、それへの執着が突然消える傾向が強い。・・・作るという時間こそが目的だから、出来上がった作品への関心をほとんど示さない。・・・むしろ完成は喜びではなく悲しみのようでもある。このことは、作り手として健全であり、最も大切なことを知っているように思う。常に毎日毎日の重なりで生きていく。目的がないから失敗もない。挫折もない。