つづきのお話

社会をちょっと変えてみた――ふつうの人が政治を動かした七つの物語

 中西さんのお話、つづきです。

 

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 中西さんは一戸建てを借りて、バリアフリーに改造して一人で暮らし始める。改造には近くにあった大学の学生たちの手を借りた。

 自分の家に学生たちが常時寝泊りする。介助はしてくれるが、常に多数の学生たちと共同生活しているような状態となってしまった。

 これでは逆に疲れてしまう。もっとシステム的に介助者をコーディネートできないか。しかも、介助を必要としているのは中西さんだけではない。そこで、組織的な介助サービスをつくれないか、と考え始めた。

 自立生活センターを作ろう。この目標に向かって、中西さんたちは具体的に動き出す。

 こう思ったのは、先ほどふれたように、他の障害者たち、自分よりもっと重い障害者と交流していたことも大きかった。

 かれらのためにもやらなくちゃ、と考えたからだ。

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「人間は社会的な動物だから、他の人のために何かをやろうというときにパワーが出る。それで、自分の障害があるという生活実態から、何がいちばんいいかということを知っているからつくれる」

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 まずは、障害者が地域で自立して生活をしているアメリカに視察に行こう。

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 ・・・カリフォルニア、セントルイスやボストンの自立生活センターや障害者の様子を視察し、話もたっぷりと聞いた。ミュージカルを楽しみ、美術館も訪れた。

 こんなことまでできるのか、という驚きと衝撃があった。それが勇気と希望に変わっていった。

 両腕もまったく動かすことのできない、口しか動かせない障害者が地域のアパートで暮らしている。食事を作ってもらい、口の高さに作られた回転テーブルに載せてもらって、あとは自分一人で食べる。

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「支援者さえいれば、我々は問題がないんだ。これまでは何もできないと思っていた自分が、何でもできる気がする、限界はないような気がする、とみんな口々に言ったね。社会に参加したほうが社会のためにもなるし、自分もそんなことを遠慮する必要はなかったんだ。そう思い直せた。それはアメリカでの経験のおかげ。アメリカはそういうふうに、先端的に新しい理念を作りだし、それで社会を自分たちの手で変えていくことができる」

 家族や周りの負担になるのは迷惑だ。自分さえいなければ、家族は幸せに暮らしていたのに。自分さえいなければ。

 そんな罪悪感を、ややもすると日本の社会は障害者に強いる。それは社会のほうがおかしいのだ。

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「そういう発想の転換が重要なんだよね。『自分さえがまんすれば』をやめればいい」

 しかも、日本のほうがすぐれている面もある。日本はどこでも日本語が通じ、介助者に家に来てもらっても、殺されたり物をとられたりする心配は少ない。だから、地域で暮らすということは、アメリカより向いている点もある。そんなこともわかった。

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 一九八六年六月、八王子市に自立生活センターが発足する。・・・

 センターの運営委員の過半数と実施責任者は障害者だ。そこは厳格に決めている。

 なぜか。

 それは、どんな重度な障害であっても見捨てない、という気概と責任だ。

 重度の障害者だと、介助が命の危険につながるかもしれない、それでもいいのだという覚悟のあらわれである。

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 ・・・介助者を守り、その人を責める社会と闘う覚悟はある。そういう責任感だ。障害者が運営を握っていたら、そこで逃げない。なぜなら、自分にも同じことが起こるかもしれない、でもそのとき、介助者が入ることを選ぶからだ。

「あくまで信頼できるのは当事者しかいない。そこは強固だから。そうでないと、利用者、つまり障害者からの信頼は絶対に得られない。我々は、障害者から『あそこはだめだ』と言われたらおしまいだから。絶対にこちらは見捨てない。障害者が理不尽なことを言ったって、従う」

 そこまでの覚悟と責任をもって、運営している。だから、障害を持つ当事者が運営の過半数にいることが必要なのだ。

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 その後、行政からの補助をもらうようになった。・・・

 ・・・各種助成をもらうにあたっては、大切なことがある。

 それは、きちんと記録をとり、データで示す、ということだ。

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「見た目」も気にした。

 男性ならスーツにネクタイ、女性ならばお化粧、おしゃれをする。きちんとした格好で人前に出る。

「一昔前の障害者って、汚い恰好のまま、女性もトレーナーとジャージ姿で街へ出てくる感じだったから。『これじゃあだめだよ。ちゃんとスカートはいて、きれいにしてね』って言ったんだ。意外に人は外見で判断するから。ばかにされるかどうかが、そこで決まる。見た目で『ああ、こういう論理でしゃべる人か』とかまで判断されちゃう。一度決められちゃうと、あとは話を聞いてくれない。そういう意味で、時間とコストのムダづかいをなくすためにも、相手の価値観にのっとってやったほうがいい」

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「今ある時間を有効に生きないと、時間は限られている。目の前に迫るものの中で、最重要のものから処理していく」

 だから、ポジティブにもなるし、作戦や戦略も練る。

 それゆえに発想の転換もする。障害も、前向きにとらえる。運動をするときに、障害というのはある意味武器になるのだ、と中西さんは言う。

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「(障害のことをネタに)冗談めかしてしゃべるとか、やり方の問題だから。使いなさいということなんだけどね。武器だと気づくことは重要だよね。差別があることをあきらめるのではなくて、それはとても便利なことだという逆転の発想が必要なんだ」

 センターでは、首から下をまったく動かすことのできない障害者も働いている。

「何もできないと思われている障害者をセンターで雇っているというのも、僕はショーアップ・ウィンドウでいいと思っているのね。『こんな重度の人が暮らせるのか。ここは凄いセンターだ』と思わせる。それは必要なことだよね。相手の思う障害者イメージとは違う、いい意味で裏切る姿を見せてあげて、こんなに変わっているというのは驚きだから。きれいに着飾っている車いすの女性を見せれば、自立生活はすばらしいと一目で思うわけ」