あるところでは大問題になることが、あるところでは何の問題にもならない・・・社会、文化のちがいってほんとに面白いです。
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中田 イスラーム法上、離婚はすごく簡単です。結婚するときは本気で結婚を考えているんですが、嫌だったら離婚できる。ですからすぐに結婚してしまうんです。
内藤 結婚も離婚も「契約」なんですよね。そして契約である以上はフェアにしなければいけないというのがイスラームの中に強くありますよね。たとえば、結婚のときには男性が女性に対して婚資を払わなければいけない。
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内藤 その婚資って、だいたいどれくらいなんでしょうか。もちろん階層によっても違うんでしょうが。
中田 もともとは、安くて満足なのがいいとは言われています。ただし価格にも分相応というのがある。上流階級はどうで、貧しい人はこれくらいというのが決まっています。一概に「いくら」と決まっているものじゃないのですね。
内藤 男性が相手の女性に対して支払う婚資は、離婚するときも取り返してはいけないんですよね。離婚するときの慰謝料のデポジットを払っておくようなものなんでしょうか。
中田 それもあります。後払いにする、というのもありましてね。後払いにすると、離婚しないかぎりは払わなくていい。離婚するときに精算しないといけない。実際に、離婚のときの慰謝料として機能しているという面はありますね。
内藤 でもおもしろいですよね。キリスト教では、神の前で「生きている間はずっと夫婦」というのを誓いますよね。けれどイスラームでは、そんな先のことまで神に誓うことなんてできない。だいたい明日のことさえ神様にしかわからない。
キリスト教の結婚式って、何度も参列したことはあるんですが、そんなに簡単に「死が二人を分かつまで」結婚がつづくと誓っていいのかな、とついつい不謹慎なことを考えちゃいます。しかも、実際のところ守らない。そのことを考えると、単に「契約でフェアにしなきゃいけない」イスラームのほうが筋が通っているんじゃないかと思いますね。
中田 イスラームは完全に父系制なので、結婚しても、結婚した人間はずっと自分の家の家系の人間なんです。子どもから後は父方のほうの子どもになっていきますが、奥さん自体は死ぬまでずっと自分のお父さんの家の家系の人間です。
だから出戻りであっても肩身の狭い思いをしたりはしない。
普通に入って、普通に戻ってきて、「あぁ、戻ってきたの」と言ってお兄さんたちが守る、という。逆に「誰かに渡せる」と言うんですね。「じゃあ次どっか行きましょう」と。
ともかく肩身の狭い思いはまったくしない。だからそういう意味でも、離婚したからって不幸になるということはあまりないですね。離婚はもちろんありますが。
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中田 イスラーム世界と日本が一番違うのは家族です。日本の家族というのはすごく冷たいですね。冷たいというか、日本の家族は自分を守ってくれない。これは社会学的にも言われていることです。日本の家族というのはむしろ、外に対して家を守るために家族を監視してストレスをかけます。
それに対して、向こうの家族は「最後の砦」なんですね。何があっても守ると。あとは先ほど申したように、父親と兄弟がすごくうるさい。ですから女性に手を出せません。女性に手を出すと殺されます。
内藤 私もずっとそう思ってました。家族関係がいろんな意味で濃すぎるのも鬱陶しいですけど、一にも二にも「守る」というところが日本では希薄です。とくに身内から犯罪者が出たときに、日本の家族と向こうの家族は違いますね。
イスラーム世界では、犯罪者でも刑期を終えて出てきたら温かく迎えます。やくざ映画で出所した組長を組員たちが出迎えているような感じ。もちろん犯罪の性格にもよりますけれども。基本的に自分のウチから罪人を出したとかなんとかということはあまり重く取っていない。むしろ守ろうとしますね。ひょっとしたら、たとえば刑務所に入るということ自体あまり重大に考えてないんじゃないかと思うんです。
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中東の国々では政治的なことで捕まることも多い。・・・
政治犯の場合、運よく出所できれば、ですが、イスラーム世界では出所してくるとみんなで実に歓待するんですよね。「この、家の面汚し!」みたいな冷たい態度は取らない。帰ってきたら家族も支援者も「よかった!」と言って、みんなで大歓迎会をやっている(笑)。
そのあたりの感覚は、家族は本当に最後の砦になっているというのが大きいんじゃないかなと思います。日本の場合だと村八分にされていたたまれなくなって、家ごと引っ越さなければいけないとか、そういうことが起きますよね。でも悪いことをしたのは当人であって、罰すべきは当人なので、親兄弟といえども関係ないですよ。
関係ない者には罰は及ぼさないというのは、イスラムが持っている知恵だと感じます。ある意味、ムチで叩いてもその場で家に帰しているのってそれじゃないですか。懲役という、懲らしめるために働かせるというような感覚は、イスラームにはないでしょう。
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中田 国家が人を許せるという考え方がそもそもないのです。
イスラームの場合、罪を二つに分けます。「神に対する罪」と「人間に対する罪」の二つです。神に対する罪は神にしか許せないし、人に対する罪は被害者しか許せない。だから傍の人間が口を出す権利はないのですよ。
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この本では、中田先生が、イスラームという宗教と人間との関係をいくつもの例を挙げながら話しています。たしかにそれは、多くの部分で、私たちにとってなじみ深い西欧的な価値とは違います。しかしその一方で、西欧的な近代国家には解決できない、人間的なレベルでどうしようもなく行き詰ってしまう問題への答えをイスラームがもっているということでもあります。
人間の病や死との向き合い方について、信仰を捨てて世俗化していった人々が決定的に得られないのは、苦しみに対する発想の転換でしょう。
人間の無力に対する虚無的な諦観というようなものはイスラームにはありません。人生の終わりをいつにするかは神が決めるのであって、それまでは生きていなければなりません。・・・