日めくりだより

日めくりだより 神戸・六甲ではじめたひとりの暮らし (天然生活の本)

 高山なおみさんのエッセイを読みました。

 この文章から伝わってくる空気感がいいなぁと・・・なにかほっとします。

 

P38

 ぽかんと時間があいたとき、裁縫箱を出してきて縫いものをします。スカートの裾のほつれをかがったり、本棚に吊るす日よけのカーテンを縫ったり、覚えたばかりの刺繍をしてみたり。刺繍といったって私はチェーンステッチしかできないし、図案も描かない、枠も使わない。だからそんなの、本当に刺繍と呼べるかどうかわからないけれど。

 熱い紅茶を飲みながら、ひと針ひと針刺していると、心がだんだん平らになっていくのがわかります。肩が凝ったら首を伸ばして窓の外の景色を眺め、少しずつ、少しずつ前に進みます。

 聞こえてくるのは柱時計の振り子の音と、小鳥のさえずり、風に揺れる木の葉のざわめき。そのうちすっかり夢中になって、ぐうーと鳴る自分のお腹の音で、お昼の時間がとうに過ぎていることを知ったり。

 東京にいたころにはおっくうだった針仕事が、こんなに身近になったのは、ファスナーのつけ方と、手縫いのギャザースカートの作り方を、「MORIS」のひろみさんから教わったのがきっかけです。

 布を触るひろみさんの手つき、すっと伸びた背筋、穏やかに落とした視線。「ここは、丈夫にしておきたいから、返し縫いがいいでしょうね」と言いながら、針を進めてゆく穏やかな時間。そういうすべてが、私のお手本になりました。

 あの日ひろみさんは、裁縫箱の中身がまだ乏しかった私に、マチ針と縫い針、白いミシン糸をくださったっけ。

 刺繍を楽しむようになったのは、パジャマのズボンについたシミが、ある日急に気になりだしたこと。それで滴の形のシミのぐるりを、チェーンステッチらしきもの(このころにはまだ、正しいステッチができませんでした)でたどってみました。すると、なんとなく模様が浮き上がってきたのです。

 つぎの日、小鳥のモチーフのレースワッペンを手芸屋さんで買ってきて、ところどころに縫いつけ、つないでみたら、なんだか小鳥が羽ばたいている軌跡みたい。

 それで、長い間放っておいたポシェットのほつれも、チェーンステッチで繕ってみることにしました。花の模様がプリントされている布だったので、それを図案がわりに。

 去年の冬、三宮の洋服屋さんのバーゲンセールで緑のワンピースをみつけたとき、銀色のモミの木にチェーンステッチで色を差したら、奥行きが加わって、さらに素敵になるような気がして買いました。

 最近は、テーブルクロスにワインをこぼしても慌てず、シミを葉っぱや花や貝がら、渦巻き模様などに見立て、チクチクと刺しています。

 目の前にあるものをあまりいじらず、いかし、新しいものに作り変えるところは、料理にも似ているなあと感じます。

 

P76

 ゆうべから降り続いていた雨が、朝になってもまだやみません。

 しとしとしとしとと、しみ入るような雨。

 起きて、いつものように朝風呂に浸かってみるのだけど、なんとなく体が重いのです。ぼんやりとして、頭のなかに綿でもつまっているみたい。お腹もちょっとこわし気味。このところ人に会う機会が重なり、慌ただしかったから、たまっていた疲れが出たのかもしれません。

 今日の日めくり、〝ムーミン谷の毎日のことば〟は、「気持ちよくねむれるあなぐらを見つけて、ねむってしまうことだ。そのあいだに、世の中は世の中で、かってにどんどん日がたっていけばいいのだ。そうして目がさめたときには、もうなにもかも、ちゃんと、そうでなければいけないようになっているはずだ」スクルッタおじさんの心情『ムーミン谷の十一月』より―

 こんなに静かな雨の日には、仕事も何もかも放り出し、私もベッドに戻ろう。黒砂糖を溶かした熱いお湯をティーポットに入れて。

 ウズベキスタンを旅したとき、蜂蜜色の砂糖の結晶がバザールでよく売られていました。灼熱の国ウズベキスタンでは、熱いお茶を何杯もおかわりしながら、この砂糖のかたまりをかじるのです。お腹をこわしたときや風邪のひきはじめにも、純度の高いこの砂糖をお湯で溶いて薬がわりに飲むのだと、民宿のおばあちゃんに教わりました。

 私のは黒砂糖。沖縄で生まれ、育まれたこの焦げ茶色のかわまりもきっと、似た力を持っているような気がして。

 枕もとに本を積み重ね、読みはじめました。

 眠くなったらパタンと閉じ、ゆらゆらと眠っては夢をみ、また起きて、続きを読む。

 雨がさっきよりも強くなったようです。

 霧も出てきました。

 空も海も街もまっ白。

『きりのなかのかくれんぼ』は、霧におおわれた海辺の街が、ふたたび晴れ渡るまでの三日間の出来ごとを描いた絵本。

「うみからうまれるきりに、つつまれていきます。さいしょに きづいたのは、えびとりのりょうしでした」という文で、静かにはじまります。

 これといった事件は何も起こらないのだけれど、霧のベールに輪郭が溶けていってしまいそうな絵と、穏やかな語り口のなかに、なみなみとした時間が流れています。

 霧が晴れるところは、こう。

 

 そして みっかめのごご、とつぜんに きりのなかに、あたたかいひかりが みえました。

 しめったわたのようなきりが、うすくなっていったのです。

 にしのそらにある、ひのひかりは、

 きりのなかを ななめにとおりぬけ、

 いりえのしまを きんいろに かえました。

 そよかぜが どこからともなくうまれ、きりをやさしくくるむようにして、おおきなうみに もどしていきました。

 うみはまた、しまのむこう ひろいみなとをこえて、せかいのはてまで きらきらと かがやきわたりました。

 

 声に出して読んでいるうちに、私はお腹がすいてきました。

 何か温かくて、お腹にやさしい食べもの。

 おかゆでも作ろうかな。

 たしか、蒸し鶏の残りと豆腐、卵もひとつ冷蔵庫にあったはずです。