本当の旅は二度目の旅 谷村新司さん

本当の旅は二度目の旅

 30年前の本・・・図書館のリサイクル本コーナーで見つけて読みました。

 素敵な方だったのだなぁと改めて思いました。

 

P184

 アリス時代の思い出に残る出来事といったら、なんといってもぼくと堀内が病気をしたときのことでしょうか。一番体力的に疲れのピークになってきて、まずぼくが倒れ、堀内も倒れたときが一番きつかった。身体がちゃんとならないということがつらかった。

 ぼくが東京から大阪に向かう飛行機の中で、ついに過労で倒れたとき、堀内がしっかり手を握っていてくれたこと。逆に堀内が北海道のホテルのベッドで寝ているときに、ぼくは部屋にいて、そばについていたほうがいいだろうと、何をするでもなく横に座っていたときのこと。そういうことが、走馬灯のように浮かんできます。

 それは『冬の稲妻』が出て、ワッと忙しくなっていった頃でした。ぼくらはスケジュールが立て込んできて、めちゃくちゃでした。ぼくだけでも週に二本深夜放送を生でやっていて、年間二三〇本くらいのステージをやって、レコードを作って、本を書いてということで、寝る時間なんてほとんどないような状況でやっていました。自分は強いと思い込んでやっていたけれど、ときどき痙攣を起こして、失神したり、そういう症状が年に二回くらい起きるようになったのです。そんなときの情景が一番浮かびます。

 そして病気から復帰した最初のステージが武道館。あのときの武道館もやはり忘れられません。「何曲まで歌えるかわからないよ」と医者に言われて、「でも歌えなくなったらスポットライトを浴びて立っている」と言って、武道館に行ってしまった。最後まで歌いきったときの感動、あのときの光景もまた印象に残る思い出のひとつです。

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 ファイナル・コンサートは三人だけでやった後楽園球場です。あのときはバック・バンドなしでアリス三人だけしかいませんでした。いわゆる最初のアリスの形のままステージに立ちました。それで五万五〇〇〇人で中央ステージにして、三六〇度お客さんを入れて、さようならのコンサートを開いたのです。あの日は寒かったという記憶があります。でも、最後のステージは、三人ともすごく楽しんでいたと思います。一曲ずつ歌いおさめていく、一曲ずつ桐の箱に綿に包んでしまっていくみたいなイメージがありました。

 ぼくたちには不思議なくらい人間同士のトラブルはありませんでした。だから、べつに揉めて活動を休止したわけでもありません。細々とした感情の問題は、やはり人間同士だからないわけではないけれど、最後のステージをやっているときは透明でした。

 ぼくたちは珍しく仲のいいグループだったんじゃないでしょうか。・・・

 まあ、ぼく自身、もともと喧嘩はあまりしないほうです。・・・だいたい揉めていると、必ず中に入って、仲裁するという役割でした。両方の意見を聞いていると、両方正しいのです。それはいくら喧嘩したって平行線、お互いに間違ってないんだもん、ということです。

 アリスの場合は、みんなそういう感覚を持っていました。みんな大人だったと思います。だから変にうわついていたり、売れたからと天狗になったり、勘違いしたりというようなことって一番ダサイよねっていうのが、よくわかっていたグループだった。そんなの当たり前じゃないですか、ってぼくたちは思っていました。レコードが売れているからって、別に偉いわけじゃない。・・・

 アリスの場合は、どうしても考え方が食い違った場合は、話し合いをしました。じゃ納得のいくポイントを探そうと。そっちはここまでだったら譲れる、じゃこっちはここまで譲ろうと。それならこのラインで行こうかということです。みんなあまりカッとしたりはしなかった。「自分に考えがあるように、相手にも考えがあるわけでしょ?で、自分がいつも正しいかどうかはわからないもの。おれは正しいと思っているし、むこうも正しいと思っていたら、どちらも正しい。でも、ひょっとしたらこの部分、正しくないかもしれないというのがお互いにあったら、そこの部分をお互いに削ろうよ」……。三人とも、そんなふうに考えていたと思います。

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 アリスで得たもの、学んだことはいっぱいありすぎて言葉には出せないかもしれない。

 あらゆることを得ているし、学んでいると思うんです。例えば、疲れたときほどイライラしちゃいけないとか、自分がつらいときほど笑顔で相手に渡さなくちゃいけないなとか、そういうことがいっぱいあります。自分の側にいる人ほどあたたかく、やさしくしなければいけない。なのに、ついついちかくにいる人にはぞんざいになってしまうとか、外ではいい顔をしていても家に帰ったらわがままになる。そうじゃないんだな、というのはアリス時代の付き合いのなかから、学んだことのひとつです。

 

P206

 運を引き寄せる力というのは、出会えるべくして出会っているのかどうかはわからないけれども、素敵な人が素敵な人を紹介してくれて、というつながり方がある。それがネットワークになっていったことが一番大きいんじゃないかと思います。ぼくたちが作っている歌は、本質的に人間を歌うもの。人と人の間にある心情を歌っていくわけだから、やはり人とちゃんと関わり合っているかどうかが一番大きな理由かなという気がします。

 ぼくにとっては、音楽以外のものが、すべて自分にとっては音楽だと思うのです。だから、音楽を作るために音楽を聞く必要なんかないとさえ思う。人と話していることのほうがよっぽど音楽で、音が鳴っている。で、人と会って触発されたこと、影響を受けたことが自分のフィルターから出てきたら、それが自分の音楽なのです。そして自分のフィルターから正直に出てきたものが、そのまま自分の生き方でもあるのです。

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 ぼくは自分で音楽を作っていながら、こんなふうに言うのは変だって言われていました。音楽とのスタンスの取り方は独特かもしれません。でも、ぼくはずっとそうだった。「音楽?そんなに好きじゃないかもしれない」って言ったら、変だと言われます。

 だけど、それはぼくだけじゃなく、あの越路吹雪さんもそう言っていらしたそうです。

「私は歌をほんとうに好きじゃない」と。ステージが終わると逃げるように家に帰りたい、と。だからこそ、あれだけのステージができるというのも一理あるなと、ぼくはそう思ったんです。

 ぼくは音楽が好きだから音楽を作っているわけじゃない。ビジネスのために音楽をやっているわけでもない。人間が好きだから、素敵な人に会いたいから、そして人と人が出会うときの感動を求めて、音楽を作っているのだと思います。