創造の源

絵画の向こう側・ぼくの内側――未完への旅 (岩波現代全書)

 興味深く読んだところです。

 

P56

 画家に転向した頃、先ず悩みの種は絵の主題だった。・・・

 ・・・そこで思いついたのは、ピカソの作品はそのまま日記であるということだ。ぼくも以前から日記を記述していたので、絵日記を描くようなつもりで絵画制作に取りかかった。

 しかしこの発想は最初だけで、そのうち、主題は森羅万象に拡張していった。このようなぼくの作品を見た知人の先輩画家は、「分裂症とちがうか?」と、ぼくの多種多様な主題と様式について批評した。ぼくも最初のうちは定まらない主題と様式を自分の中の混迷のように思っていたが、特定のアイデンティティを所有できない自分の思考に問題があるのでは、と考えるようになり、問題はどうやらぼくの性格にあると気づいた。思想で絵を描くのか、それとも性格がそうさせるのか?

 そんな頃、ぼくはグルジェフの哲学に出合った。彼は一人の人間の中には小さい複数の「私」が存在していると言う。それでぼくの作品の多義性は、この複数の小さい「私」であることに気づいたのだ。それ以来、ぼくは自らの内なる声に従うようにした。内なる声には特定の主題も様式もなく、何でもありだった。内なる声に従えば、ますます自由に描けるような気がした。

 

P74

 目下(二〇一二年)、ボストン美術館で「シャンバラ」展がロングランで開催中だ。・・・神秘主義者にとってシャンバラは実在の地下都市で、地球空洞説やヨーガの根本原理として、永遠の神秘と謎に包まれた興味尽きないオカルティズムの中心的理念でもある。

 シャンバラは地球内部の空洞に存在するという都市の名前で、その国をアガルタともいう。この地底王国には、金星から降臨した金星の王サナート・クマラが君臨しており、太陽系の惑星とも交流をし、地上で目覚めた人が現れればシャンバラによって精神的サポートが行われる。地底内部にはアディプトと呼ばれる超人たちが棲み、彼等はアトランティスが崩壊する寸前に地底内部に避難したといわれるが、この場所にはわれわれの三次元の肉体では入ることができない。

 またシャンバラへの道は地球上に数か所あるが、その入り口の全ては秘密の扉によって閉ざされており、チベットの高僧の選ばれた者しか行くことが許されない。

 そんなシャンバラにぼくが興味を持つようになったのは七〇年代の初めで、ヨーガを学び始めた頃である。この頃不思議にも次々とシャンバラに関する資料や情報がもたらされ、メディテーションを通じて常にシャンバラに意識を統一していた。ある日、夢でシャンバラの王の訪問を受けた。先年亡くなった禅僧の松原啓明師が、「魔王尊をお連れ申した」と言って、エネルギー化した見えない存在の魔王尊と共にぼくの実家に現れたことがあった。

 魔王尊とはシャンバラの王サナート・クマラのことである。京都の鞍馬山にはこの魔王尊がお祀りされている。・・・そんなことから、ぼくは鞍馬山には何度も登ったことがある。・・・

 ・・・

 シャンバラは一応架空の都市ということになっているが、近年シャンバラ研究が世界でも広がっており、決して空想譚で終わるものではなさそうだ。ぼくのシャンバラへの視座は今も昔も変わらない。ただこの地を訪れることのできる人間は地球上にも限られており、四次元体でしかその訪問は不可能であると思う。シャンバラに意識の焦点を合わせることによって芸術的創造が得られるのではないかと考えるぼくのシャンバラは、結局創造の源泉であると同時に、魂の棲む肉体のある場所だと思うのである。シャンバラは地球内部に存在すると同時に、自らの肉体の「空洞」にも存在しているのである。