きょうもいい塩梅

きょうもいい塩梅 (文春文庫)

 内館牧子さんのエッセイを読みました。

 20年くらい前の「銀座百点」の連載がまとめられたもので、面白かったです。

 ここは、そんな依存症があるなんて・・・でも体に悪そうではない?とびっくりしたお話です。

 

P173

 ・・・すでに二十年以上も昔のことで、本人の了解を得たので書くが、私の女友達の母親が重い依存症に苦しんでいた。

 何に依存しているかというと、これが「生姜」なのである。「生姜依存症」なる病名はないと思うが、まさしくそれである。

 とにかく、生姜がないと不安で不安で胸がドキドキしてくるのだという。私はその女友達の家にもよく遊びに行っていたので、母親とも仲良しであった。とても陽気で元気で、かつ頭の回転も早く、ひとつの価値観にとらわれない人である。私たちと一緒に幾らでも会話が楽しめる母親であり、友人たちにも人気があった。

 そんな母親が依存症を抱えているとは考えもしなかったし、ましてそれが「生姜」とは予想もつかない物である。女友達も娘として、私たちにはそれを隠していた。

 ところがあるとき、私は異様な光景を見てしまったのである。その女友達と二人で旅行をしたのだが、朝市で彼女が生姜を買う姿である。なにしろ尋常な量ではない。十キロとか十五キロとか、そんな量だった。当時は宅配便もなかったので、彼女はそれを手で持ち、笑った。

「お母さんのお土産よ」

 それにしても多すぎないかと呆れている私に、彼女は初めて「生姜依存症」のことを打ちあけた。

「あるときから突然なのよ。それも谷中生姜じゃダメなの。このゴツゴツした根生姜にガブッとかじりつかないと、禁断症状が出るの」

 ・・・

「最初は食事の後に、ちょっとつまんでいる程度だったの。家族はタバコみたいなものだって笑ってたし、タバコより害がないしって」

 やがて、それではすまなくなってきた。・・・母親はのべつ生姜をむさぼるようになってしまったという。それは一日に一キロにも及んだ。

 外出するときにも持ち歩いた。・・・ガブッとできるほどの大きさに切り、ラップで包んで幾つも持ち歩く。

 さらに依存症が進み、生姜の買いおきがふんだんにないと、不安で不安でたまらなくなってきた。そうは言っても、近くの八百屋で毎日キロ単位で買えば目立つ。最初のうちは八百屋さんも、

「奥さんち、店やってるの?」

 と言っていたらしいが、だんだんと不思議な顔をされ始めた。スーパーマーケットにしても、棚の生姜を毎日買い占めるのだから目につく。結局は家族が会社近くの店で買って帰ったり、旅先で買いこんだりしてしのいでいたのである。

 後日、その母親は私に言った。

「生姜代だけでも大変なものだったわ。足りないと禁断症状というか、不安でいてもたってもいられなくなるの。夜中にあいている八百屋さんをさがし回ったこともあるわ」

 どうなることかと思っていたとき、突然、その依存症は消えた。病院で治療したわけでもなく、節煙ならぬ節生姜に努力したわけでもなく、あるときから全然口にしたくなくなったのだという。

 あれから二十年以上がたち、つい先日、その女友達と「生姜依存症」に話が及んだ。そのとき、彼女が初めて言った。

「あれは、うちの母のストレスの表れだったと思う。父は窓際だったし、私は全然結婚が決まらないし、兄も結婚してなくて、その上、事故で大怪我したりして。たぶん、母は世間からもいろいろ言われていたんだと思うの。でも、それを家族に見せまいとして、いつでも多様な価値観を示したりして、明るい母親を演じていたわけよ。刺激の強い生姜にかぶりつくことで、なんとかバランスを保っていたんじゃないかしら」

 母親が生姜を口にしなくなったのは、兄の結婚が決まったころに重なるという。それと前後して、私の女友達は国家試験に受かり、・・・

 すべてがすべてうまく進んだわけではないにしろ、母親は家族一人一人のありように納得できたのだと思う。・・・

 ・・・

 それにしても、あの陽気な母親がハンドバックに生姜をしのばせていたとは、人間というものはなんと弱く、いとおしいものかと思う。・・・