一三八億年前の一粒の光から・・・

この星で生きる理由 ―過去は新しく、未来はなつかしく―

 印象に残ったところです。

 

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「宇宙人はいると思いますか?」

 講演で宇宙についてお話すると、必ずと言っていいほど受ける質問です。そんなときの答えは、「そうですね、いるかもしれませんね」。実は、物事の否定は、肯定よりも難しいのです。・・・「宇宙人は存在しない」と言い切るためには、全宇宙をくまなく探し回って、いないことを確認しない限り、「いない」とは言えません。ですから、「いる可能性はある」としか言いようがないのです。

 ところで、現代宇宙論によれば、すべてのものは、今から一三八億年の遠い昔限りなく熱く、まばゆい一粒の光から生まれたことが分かっています。命もその例外ではありません。命をつくるすべての元素たちは、光のしずくから生まれた水素の雲が集まってできる最初の星が光り輝く過程でつくられます。つまり、核融合反応です。そして、その星が燃料を使い果たして超新星爆発というかたちで終焉を迎えた時、命の材料は宇宙空間にまき散らされます。ですから、条件さえ整えば、命を育む地球と同じような惑星が存在する可能性は十分にあることになります。事実、最近の観測から、私たちの太陽系以外にも、地球のような惑星(系外惑星)を持つ恒星系の存在が明らかになっています。現時点でも、銀河系内に三千個くらい見つかっています。

 さらに、天空から降ってくる隕石を調べてみると、命の素になる「アミノ酸」が含まれていることも発見されています。私たちの命のふるさとは、どこか遠い宇宙の彼方にあるのかもしれません。そういう意味では、あなたも宇宙人だ、ということになりますね。

 

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佐治 ・・・現代というのは世界的規模ですべてが「〇〇ファースト」という時代になってきていますよね。実はそれは戦争にも繋がる、極めて危険な考え方です。どうしてそういう考え方が出てくるのかと考えてみますと、私たちの存在が独立した存在ではなくて、お互いが相互依存の「あなたがいて私がいる」という存在であるという意識の欠如からくるのだと感じています。それではその相互依存である理由は何かというと、言ってしまえばとても簡単で、私たちの宇宙は今から一三八億年の遠い昔にたった一粒の光からできたという科学的事実から明白なことなんですね。

 つまり根源が同じであれば、互いに相互依存しているということなんです。でも自分と他人とのかかわりというのは見えるようで見えないものがたくさんありますよね。そういったところで宇宙と人間のかかわりを科学的な立場から伝えるには何がいいかというと、やはり宇宙を見上げることが一番なんですよ。・・・

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 ・・・金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」という詩にありますけど、世の中って見えないものが多いんですよね。・・・「星とたんぽぽ」という詩の最初の方はこんな感じでしたでしょうか。

 

 青いお空の底ふかく、

 海の小石のそのように、

 夜がくるまで沈んでる、

 昼のお星は眼に見えぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

 結局世界は見えないものだらけなんですね。自分の顔も自分の目で直接見ることはできませんし、鏡で見る顔は右と左で反対です。現代の宇宙論から言いますと、見えるものというのは全体の5%ぐらいで、ちょっと難しい言葉になりますが、あとの95%は、目には見えない暗黒物質とか暗黒エネルギーというものだとされています。でも見えなくたってそこにあるということは分かっているので、この天文台では昼間の星を見せてしまおうということにしました。・・・

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 そこで忘れられないことがありまして、「ぞうさん」の童謡でも知られている、まど・みちおさんに真昼の星をお見せしたことがありました。まどさんはすでに九十歳近かったんじゃないでしょうかね。そのときは観測室のなかで一言も発せずに多分数時間いらっしゃったと思います。最後に一言「これが光そのものですね」とおっしゃって、深々と頭を下げてお帰りになったことがありますね。

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 まどさんは「一ばん星」という詩を書いてらっしゃるんですね。

 

 広い 広い 空の なか

 一ばん星は どこかしら

 

 一ばん星は もう とうに

 あたしを 見つけて まってるのに

 

 一ばん星の まつげは もう

 あたしの ほほに さわるのに

 

 広い 広い 空の なか

 一ばん星は どこかしら

 

 という詩ですね。まどさんは、感覚的には一番星はどこかしらと探しているのは人間の方であって、一番星の光はもうこちらにきているんだってことをお分かりだったからこういう詩をつくられたのでしょう。そしてそれを実際に望遠鏡で見てしまったわけですね。だからものすごく感動されたというか、驚かれたのではないでしょうか。