これはゲームなんだ

1億2000万人の矢沢永吉論

 主人公を演じつつ、監督やプロデューサーの視点も持っているからこその魅力・・・多くの人の拠りどころなんだなと知りました。

 

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 千葉県君津市に、矢沢ファンの寿司屋があるという。

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『旬鮮屋こうすけ』店主の菅沼幸司さん(54)のユニフォームも寿司屋定番の白の半纏ではなく、黒のヤザワTシャツである。バラードを聴きながらカウンター越しに立つ菅沼さんと話していると、矢沢なバーにいるように錯覚する。

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「幼い頃の永ちゃんは貧乏で、具ナシの茶碗蒸しに醤油を足したおかずが、ご馳走だったわけじゃないですか。オレも子どもの頃、ごはんに醤油をかけて食べてたからね。とにかく、お金が大事だっていう『成りあがり』のメッセージが心に響いたんですよ。そのためには頑張って働いて、稼がなきゃいけないって」

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 父親は埼玉で左官業の会社を経営していたが、不渡りを出してしまい借金まみれとなり、酒とギャンブルにおぼれるようになった。愛想を尽かした母親が弟と妹を連れて家を出てゆき、菅沼さん一人だけが父親の元に残ることになったという。

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 あるとき、母親が寿司屋に連れて行ってくれた。板前の姿を見て「粋がよくて、かっこいい」と思ったことが寿司職人を目指すきっかけだったという。早くお金を稼ぎたい一心で、菅沼さんは中学卒業後、千葉の栄町にある寿司屋に修業入りすることにした。

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 菅沼さんの場合、当初は矢沢から影響を受けた「お金を稼ぐために仕事を頑張る」ということをモットーにしていたが、今では「嘘をつかないこと」を客商売のモットーにしている。もちろん、これも矢沢の影響である。

永ちゃんも人がいいから、信頼していた部下に騙されて35億円を横領されたわけじゃないですか。これでオレも終わりだと思ったそうだけど、ざまあみろっていう一部の風潮に奮起して、借金を返したわけですよね。誰しも人に騙されるのは嫌なものだけど、永ちゃんが言うように、自分から人を騙すような人間にはなりたくないよね」

 矢沢永吉は40代後半で35億円の横領事件という人生最大のピンチを迎えたわけだが、15年間にわたって寿司屋を経営してきた菅沼さんにピンチはなかっただろうか?

「そりゃ、ありますよ。一番ピンチは東日本大震災のとき。この辺り一帯が計画停電することになって、17時から22時まで電気がつかないわけだから商売にならない。ロウソクをつけて営業してたけど、ほとんど客は来ないですよね。恥ずかしい話だけど、従業員に渡す給料もヤバいことになって、もう、この店もダメだと思いましたよね……」

 そのとき救いになったのも、やはり矢沢の音楽だった。・・・

「車で15分ほど行くと海に出るんだけど、そのときは一人で海辺に寝そべって、ずっと永ちゃんの『アイ・ラヴ・ユー、OK』や『LAHAINA』、『裸身』を聴きながら、考え込んでることが何回もありましたね。女房にも子どもにも弱音を吐けなくて、本当に辛いときだったけど、永ちゃんの曲を聴いてるうちに〝やるしかねえ〟って思えるようになった。福島や宮城に比べたら、まだ建物はあるわけだし、計画停電もいつか終わる。あのときは本当に永ちゃんの音楽に励まされましたね」

 

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 矢沢永吉が自身を客観視する視点は、さまざまなインタビューでも見られる。たとえば、前半の頃のインタビューでは、こんなふうに自身の人生観を語った。

<苦しくなった時にふっと思えばいいのよ。「これはゲームなんだ」とね。「矢沢永吉を演じてる配役なんだな」って。すっごい苦しい時に思うようにしてる>

<50過ぎて現役でやってんですもん。こんな、ラッキーなことはないですよ。矢沢を演じていつかは静かに死んでいく、そんなことが分かったら、もう怖くないんですよ>・・・

 矢沢永吉を演じる―。こうした役割意識や自己をプロデュースする視点は、デビュー前から彼の中にあったようだ。『成りあがり』に、こんな一節がある。

<音楽に出会って、スーパースターになると決めてからは、苦労が苦労じゃなくなった。土方やっても、フィルム運びやっても、つらくない。「そうだ。こういうふうに苦しいんだよな、最初のうちは。こういうことがあって、いろいろやって、最後にスーパースターになるんだよ」と自分に言いきかせていた。映画だ。自分の人生を映画で観てるみたいなものだ>

 矢沢はもともと、<自己陶酔する才能みたいなものがあった>と記しているが、彼の中に〝自分という物語〟を生きている感覚があり、そうした自己をプロデュースする視点によって矢沢伝説が築き上げられていったと思うのだ。

 映画の主人公になりきりながら、同時に監督もプロデュースもこなす複眼的視点を持った不世出のアーティスト、それが矢沢永吉なのである。