いのち、生ききる

いのち、生ききる (光文社文庫)

 日野原重明さんと瀬戸内寂聴さんの対談本、20年位前のものを読みました。

 

P49

瀬戸内 ・・・私たちは周りの人たちからエネルギーを貰っているんです。

 私は天台寺という岩手県最北のお寺の住職ですから、毎月そこへ行き法話をいたしますでしょう。そこに集まる人数がだんだん増えまして、三千、四千人があたりまえ。最近は一万人を超すんです。

 はじめからお釈迦様の真似をして、青空説法です。ゴザを敷いて、境内の地べたに座ってもらいます。皆さん、全国各地、なかには外国からもみえて、年齢も赤ん坊から九十歳を過ぎた方まで。

 そんなたいへんな人数を相手に話していると、こちらはくたびれますね。さすがに去年の初め頃には「ああ、しんど」という感じになりました。「私はいつまでこれをやれるのかなあ」なんて弱気になったんです。

 そのときふっと、私は皆さんに、つらいことがあって大変なときは目線をちょっとだけ変えてごらんなさい、そうすると一ヵ所でも風穴が開きますよ、ということを言っていた。そうだ、私自身がちょっと目線を変えたらいいんだと思いつきました。

 私は、この小さな身体のエネルギーが何千人もの人に奪われていると思っていたんです。だから疲れたんですね。

 でも、違う。私のほうがこの身体ひとつに、何千何万の人々のエネルギーを皆さんからいただいているんだと見方を変えました。そうしたら、急にしゃんとしてきて、身体も気持ちも非常に爽快になって、また法話をすることが楽しくなってきたんです。

 法話にいらした皆さんは、来たときと帰るときは顔が違うということも、よく見えてきました。来たときはどこか悲しそうな淋しそうなお顔なのに、帰るときは嬉しそうな、晴々とした顔をして山を降りていく。それを見ると、ああ、やっぱりつづけてきてよかったと思いますね。

 

日野原 そのときの寂聴さんの表情は、魂が満たされたという満足感が溢れているのですね。それは集まられた大勢の人々と個々に心の通い合いがあったという証なんです。

 

瀬戸内 そうですね。ですからエネルギーというのは、あげる、取られるじゃなくて、いただくものなんですね。

 私がこんなにいつまでも元気なのも、皆さんからエネルギーをいただいていることに尽きると思います。