芸術ウソつかない

横尾忠則対談集 芸術ウソつかない (ちくま文庫)

 こちらも再読したくなって、6年ぶりに読みました。(単行本で読んだので、↑の文庫版とはページ数が異なります)

 印象に残るところが、同じだったり、また新しいところだったり・・・いい影響を受けました。

 

 こちらは井上陽水さんとのお話です。

P15

横尾 僕は明日のスケジュールをまったく知らないんですよ。

井上 ああ、僕もそうです。

横尾 事務所の女性が帰りに、僕の自宅に明日のメモを置いていくんです。でも、その夜は見ないんです。見ると、その晩、気になって眠れないかもしれないから。

井上 用意しとかなきゃ、とかね。

横尾 知識を仕入れておいたほうがいい場合だってあるけど、そんなことしたくないから、朝出かけるときにメモを見るんです。調べるったってもう間に合わない。何もしないで出かけられるからすごく楽。できるだけ楽に、楽に生きるようにしてるんですよ。

井上 同じですよ。スケジュール表が送られてくるんですけど、基本的には見ないですね。それで「明日はなんだっけ?」って必ず聞くみたいなことで。「スケジュール表をお渡ししたでしょう」って言われるんだけど、診てないんですよ。

横尾 そういうことはあんまり全部受け入れてしまうと、ストレスになると思うな。

井上 一度ね、ストレスというか、悩みがあったときに、温泉に行ったことがあって。温泉だから、いいんですよね。「こんな露天風呂につかりながら悩める人っているのかな。温泉にまで悩みは持ち込めないだろう」って思ったことがありました。

横尾 本当に悩みをいっぱい抱えてる人は、温泉には行かないんじゃないですか。うかつに行って、そこで悩めなきゃアウトですからね。この間、ロダンの『考える人』について、電話でコメントを求められたんですよ。それで「裸になって考えてるのはおかしい。なんで裸なんですか?」って答えたんです。向こうも「それは気がつきませんでした」とかって言ってるの。裸になって考えるってことはまずないんですよ。陽水さんの話じゃないけど、僕も、お風呂のなかで何かを思うことはあっても、考えるところまではいかないですよね。あと、日本の場合は、考えるというより、瞑想しますよね。弥勒菩薩のポーズも、どちらかといえば、考えないポーズです。僕は考えないポーズのほうが美しいと思うわけ。『考える人』のポーズって、ゴツゴツしてて汚いもん。僕は弥勒菩薩のポーズ、考えるフリはしてるけど、全然考えてないポーズ(笑)が好きですね。

井上 この前、田中角栄の秘書が書いた本を読んでたら、その人は田中角栄のことをおやじって呼ぶんですけど、おやじの教えは「喰って、寝て、嫌なことは忘れろ」だとあった。・・・

 

 こちらは吉本ばななさんとのお話です。

P29

横尾 結局、宇宙摂理とか原理とか、そういうものがこの世の中にいろんな形で現れているでしょう、森羅万象として。そういうものが神様だと思うわけ。植物が育ったり、赤ちゃんで生まれておじいさんおばあさんになるまで生きたり、こんな不思議なことないもんね。生命の継続、持続させていく力、それは個人ではどうにもならない。僕だって死んでもおかしくないような状況が今までに何度もあって、ちょっとしたことで助かったり、ということを考えると、我々は毎日、不思議の大海の中にるようなもんです。

吉本 生きてることのほうがよっぽど不思議ですもんね。

横尾 そういうことに対して、謙虚な気持ちにならないと。

吉本 自分よりもうんと大きいものがあるというのは、忘れないでいたいですね。

横尾 そういうのがないとね、創作なんてできないような気がする。吉本さんの小説の中にもそういう意識が自然に表れているから、読者に伝わっちゃうところがありますね。

吉本 自分だけの考えで、簡単にいうと自我みたいなもので書いてると、その部分だけ、後で読んだときに字面が浮いてて、ビジュアル的に邪魔に見えることがあります。「ああきっと、これは私だけの考えであって、ここに載せるべきことじゃないんだな」って、そこを削ったりします。

横尾 不潔な感じ?個人が出すぎるとね……。

吉本 そうなんです、ちょっと黒っぽい感じ。そういうふうに推敲することがあります。かといって、全部、抽象的でもしょうがないし、その混ぜ方が難しいですね。

横尾 完全に純粋なものに対しては、みんな恐怖を感じて、拒絶反応を示すわけですよ。だから、自我もあったほうが読者との接点になるし、我々だって一〇〇%ピュアにはなれないし。ただ、自我同士の結びつきは、つまんないと思うね。「わかる」だけでは、文学も芸術も進歩していかない。あるいは、自分自身が進歩していかないよね。

吉本 上から下までの幅が大きいというのが、大事なことのように思います。見ている世界はいいことも悪いことも、大きければ大きいほどいいような気がする。なかなかそうはいかないけど。

横尾 鳥瞰的な、全体像が見える視点をもってないとね。超越者にはなれないけど、ある程度、超越者の視点を獲得したいと思うよね。

吉本 そう思います。

 ・・・

吉本 書き終わったばかりなんですけど、近年ずっと取り組んでたのは、体と心の関係についての小説なんです。体のほうが先にわかってることがあるとか、記憶には体の感覚もあるとか、そういう内容。『体は全部知っている』(文藝春秋)というタイトルなんですけど。

 ・・・

横尾 僕も、どうも心のいうことに従ってると、ろくなことないということに気がついたんですよ。いろんなことで迷い続けていて、自分が自分を振り回してる、その根源を考えたら、どうも心とか精神なんですよ。まあ、自我とか自意識とかに振り回されてることが多い。ここ二、三年、ちょっと楽だな、変わったなと思ったら、どうも僕の行動は体を優先してるんです。といっても、後から気がついたんだけど。・・・自分の体、生理を中心に仕事を始めた。一般には体を心に従わせようとするけど、それは違うんですよ。体に心を従わせていかないと、今の社会は心を優先してるんですよ。心はなんぼでも嘘つくし、迷ってるし、優柔不断だし。その点、体は正直だから。