世間とズレちゃうのはしょうがない

世間とズレちゃうのはしょうがない

 伊集院光さんと養老孟司さんの対談本。面白かったです。

 

P34

伊集院 昆虫でおもしろいのは、意外に変な手間のかかる昆虫が生き残っていることだと思っていて。巣の中でキノコを育てるアリとか、普通に考えたら、こんなの滅んでいいだろうという生き物が滅びないじゃないですか。

 それと似ているのが、以前本で読んだ未開の部族に残っている一見意味のない風習が、実は科学的だった、という話で、たとえば「鷹を捕るときは処女の女性が血を流した上でしか捕ってはいけない」という風習が、その部族では女性の地位を高めたり鷹の乱獲を防いだりと、結果的に理屈に合っていたりする。

 いきなり現象だけを見ると、倫理的にはすごく野蛮に見えるんだけど、科学と離れているところで実は遠回りな効率というか、直接的じゃないことも包括した効率があるんじゃないかと思うんですよ。

 

養老 だからよく分からない風習も、それはそれで世間を維持するために必要なものかもしれないということですね。

 アミメアリも、おもしろい虫ですよ。働かないアリがいるんだけど、そのアリが巣から出ていくことがある。

 

伊集院 どうやって生きているんですか。

 

養老 ほかのアリの巣に、言ってみれば寄生しちゃうんだよね。そしてなぜか、元の巣にいるときも、ほかのアリの巣にいるときも、働きアリは働かないアリのためにせっせと食べ物を運ぶんだよ。

 

伊集院 ほう!

 

養老 アミメアリは女王アリがいなかったり、オスがいなくて単為生殖で繁殖したりと、とにかくややこしい話がたくさんあるんだよ。なんでそんなものがいるのか、という話になってね。

 

伊集院 とにかく理屈ぬきでおもしろいんですね。

 

養老 だから、もういいんですよ。根本的には「ある」んだから。「生きてるんだよね」という話。こういう状況だったら、そういうグループもちゃんと生きられるということが生き物にはあって、そこがおもしろいんですよ、生き物って。

 

P50

伊集院 こうしてお話させてもらって気づいたんですけど、僕が学校を辞めたのは、勉強という世界はゴールが逃げていくってことに気づいたからで間違いないです。ものすごく大変なのに、ここまでやったらゴールだよっていうのがない。だから自分の好きなことをやるほうに向かったんですよね。思えば、そこで古典落語という世界に入ったのも古典というのが、とっくの昔にでき上がって安定している世界だったからじゃないかなとも思います。僕が古典落語を選んだときに流行の最先端は漫才だったにもかかわらず、完成形の見えている世界に行った。

 

養老 もう積み上がりきっている。

 

伊集院 はい。ところがこれがとんでもなく奥が深い世界で、すでに一〇〇だと思っていた落語の満点というのは実は無限大だということが今なら分かりますが(苦笑)。「あれ?これ一〇〇どころか一〇〇〇あるぞ」と。そこに関しては自分の能力のほうが全然ないことに初めて気づいて、「やり遂げたい」なんて大それたことも思わなくなりました。

 

P161

養老 ・・・僕が本当に嫌いなのは、「自分は我慢したから、おまえも我慢しろ」という考えです。戦争中はずっとそうでしたから。この強制が日本の場合はいちばんきついでしょ。あの空気は大嫌いですね。

 ただ、僕は二十八年勤めた大学を辞めた瞬間、世界が本当に明るく見えたんですよ。ということは、それまで我慢していたってことです。でも自分で我慢しているとは必ずしも思っていないんです。授業をするのも、教授会に出るのも、すべて「当然」だと思っていた。辞めて初めて「我慢していた」と気づいたんですね。

 ・・・

「無理をするな」が親父の遺言だって、おふくろはよく言ってましたね。親父は若くして結核で死んだんですよ。自分が無理したことが分かっていたんですね。

 ・・・

 ・・・でも分からないときは分からないんでしょうね、周りの価値観に埋もれちゃって。だから本当は価値観って自分でつくるんだよね。僕はずっとそう思っていました。