既成概念にこだわりを持たない

ムスコ物語 (幻冬舎単行本)

 親子三代にわたって、大きくて広くて深いなあ・・・と思いました。

 

P67

 日本に一時帰国していた頃、家に遊びに来た幼馴染の友人が母に「お母さんはマリさんが貧乏で働かない彼氏と苦労していることについて、別れてほしいと思わないのですか」とストレートに問いかけたことがあった。母はわははと笑いながら「べつに。そんなこと私には関係ないもの」と間髪を容れず断言した。

「私はマリの彼氏は好きじゃない。マリだってあの人と一緒でなければどんなに楽になるかと思う。でも本人がそれでもあの人と居たいというのなら、もうそれは仕方がないことなのよ」

 母の若かりし頃の恋愛経験や親との軋轢を推し量らずにはいられなくなるような回答だった。

 

P146

 イタリアから戻って3年目、いくつもの仕事を抱えて日々奔走している私の中に、漠然と子供を連れて別の国に移り住みたいという思いが膨らみ出した・・・

 若いうちに離れてしまった日本ではあったが、ブランクが長くても、社会に交じって生きていけるスキルが自分にもあるということはわかった。かといって、これからの人生でずっと大学の講師やテレビのリポーターという仕事を続けていきたいとは思わなかった。散々な思いをしつつもなんとかなってきた立場上、生き方自体に理想など持っていなかったが、できればこれからもできるだけ引き出しの数を増やし、瑣末なことに囚われない強靭さを、人として、そして母親として身につけたいという思いはあった。そのためには、定職についてお金に困らない生活を送るより、興味深い環境において常にインプットとアウトプットの代謝を良くしながら暮らすほうが、自分には合っているという自覚があった。

「行けるものなら、さっさとどこへでも行ったほうがいいよ」

 母ももはや自分の助けを必要とせずに生きている親子を目の当たりにして、そんなことを私に度々言うようになった。まさに、一切の既成概念にこだわりを持たない人らしい発言だ。ただ、特殊な環境で生まれ育っているデルスを慮る気持ちがあったことも確かである。実際、「世界というものが、見えている範囲だけだと思っていると、いずれたくさん窮屈な思いをすることになる。生活環境も、生き方や信じるものの違う人間もできる限りたくさん見せてあげたほうがいい。あんたに頼らなくてもしっかり生きていけるように」という言葉は彼女の本音だったはずだ。

 

P150

 2019年の5月にハワイの大学を卒業したデルスは、しばらく自分が何をしたいか考えたいからと、大学院に行くことも就職も保留にして、その後はイタリアの夫の実家や北海道に滞在し、ラオスやネパールへ出かけていた。・・・

 周囲の人は年頃のデルスに一般的な成年男子像が重ならないことに違和感を覚えるらしく「デルス君、これからどうするの」「彼女はいるの」「結婚は」「仕事は」と、矢継ぎ早に質問をしてくるらしい。そんな時デルスは毅然と「将来のことはわからないし、別にひとりならひとりでそれでもいい」とたいがいの期待から逸れる答えを返して、質問者の表情を当惑させる。

「なぜあんなことを聞くのだろう」と訝るデルスに、世の中、みんなあんたみたいな出自や、生き方や考え方を理解してくれるかというと、それは甘い、と断言をした。この世には群生の生物である人間としての生態をしっかり忠実に守って生きている人たちのほうが大多数だし、脆弱な人間ほど集団でまとまっていないとダメな場合もある。だからひとりでも平気だという人を見つけると、なんとか群れに帰属してほしいと思ってしまうし、あんたや私みたいに家族に守られていない人は周りを不安にさせるもんなんだよ、と返す。すると「家族ならあるじゃない」。驚いたような顔で私を見て「バラバラでも家族だし、それなりに、それぞれが守られ守ってると思うけど」と笑う。

 

P230

「あのさ、もしあんたがこのまま家族を持たず、私もベッピーノも死んだらどうする」とデルスに聞いてみた。「いや、だから、デルスって名前にしてくれたんでしょう」とデルスは訝しげな表情で私を振り向いた。「ひとりでも生きていけるように、誰にも頼らなくてもいいように、この名前にしたんじゃなかったの」

 確かに、東シベリアの大地で、家族を失ったあとも大自然に守られながら生きる狩人の名前を彼につけようと決めたのは、人間社会が唯一の人間の生息場所だと思ってほしくなかったからだった。他者という鏡に自分を投影することで自らの存在の確認などしなくても、地球に受け入れられているという自覚だけ持って堂々と生きて欲しかったし、私の息子である以前に、この惑星の生き物として生まれてきたことを感じてほしかったからだ。

「だいたい、なんでそんな心配をするのさ。母こそしっかりしなさいよ。いずれ人はたったひとりで死ぬんだから」と諭される。私が寂しそうに見えたのかもしれないが、自分も寂しくなったのかもしれない。あんたやっぱり出家したらいいんじゃないかな、と言うと、またそれかよ、とのけぞられる。

「まあ誰もいなくなったら、その時は玄奘三蔵のようにひとりで長い旅にでも出る。やることはある」

 ニヤつく顔に、とりあえず死という条件に代えても、人生でこいつに会えたのは良いことだったな、と思うのだった。