どちらが理屈っぽい?

 

文系の壁 理系の対話で人間社会をとらえ直す (PHP新書)

 養老孟司さんと、4人の理系の方との対談本、興味深く読みました。

 ここは森博嗣さんとのお話の中で、文系の方が理屈っぽいと言われて、なるほどと思ったところです。

 

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森 文系と理系の違いに話を戻しますが、文系の人は、自分のわからないことを言葉で解決しようとします。たとえば、独楽は回っているから倒れない、自転車は走っているから倒れない、ということを「理屈」だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。回っている物がなぜ倒れないのか、走っているとなぜ倒れないのかは考えようとしません。

 僕から見ると、どうしてそんな説明で納得できるのか不思議なんですが、文系と理系の差はここにあるのではないでしょうか。文系は物事を言葉で割り切るからデジタル。理系の方がアナログです。

 僕は、なにも文系を非難しているのではありません。多くの社会的活動では、言葉で割り切った方が処理は速いでしょうし、相手も同じ文系なら説得しやすいのでしょう。理系はそれは理屈ではないと認識しているので、できるだけ詳しく説明しようとしますが、口下手だからうまく伝えられなくて、「オタク」だとまた言葉で処理されてしまいます。

 でも、理系どうしなら、ある程度知識が一致している範囲では、きちんとした議論をして理解し合うこともできます。そのときは、「言葉」ではなくて、「論理」で通じ合う。物事を突き詰めていった先にある、数学的な原則や物理法則のようなものに立脚して、論理を構築しようとする。その努力をしたがるのが理系です。

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 僕からしてみれば、社会や人間など、あやふやでとらえようがないものを、文系の人はどうして理屈で解釈してわかったような気になれるのか不思議でなりません。心理学の本を読んでも、よくこんなに割り切れるものだと感心します。文系は理系のことを理屈っぽいと思っているのでしょうが、文系の方がはるかに「理屈っぽい」ですよね。

 

養老 特に日本の文系に言えることですが、彼らは前提の吟味をしませんね。・・・

 僕は弁護士に、「憲法違反と言うけれど、そもそも憲法の前提は何でしょう」と尋ねたんです。ところが、弁護士は「憲法の前提なんて考えたこともない」と言う。憲法のない状態から憲法を作ったからには、何のために憲法を作るのかという前提があったはずなんです。だけど、日本ではそれを吟味しようとしません。

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 ・・・そういうものだと思ってしまえば、いろんな問題を避けて上手に生きていける。この世間では、追究しない、前提を問わない方が生きやすくて、異を唱えると嫌がられてしまう。今にして思えば、僕もいろんな人によく煙たがられましたよ。