時間の概念

創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集

 こちらは磯崎新さんとの対談。エジプトに流れる時間・・・おもしろいです。

 

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横尾 磯崎さん、今はどんなお仕事が?

磯崎 いくつもあるけど、そのうちのひとつが、一九八五年にエジプトから依頼された仕事。八十五年っていうと、何年前?もう三十年前ですか。エジプトには、ツタンカーメンなんかよりももっと位の高いミイラがたくさんあるんですが、それが置き場所もなく倉庫の中に入っているというんですね。これを収容するような歴史博物館を造ろうと。

 ・・・で、その中の展示を全部、僕にやって欲しいということで、エジプトに呼び出されたんです。つまり展示設計者です。

 そこで歴史を調べたりして、詳しい展示を組み立てたんです。それが三十年前です。

 それから二十年経って、今から十年くらい前に、いきなり電話がかかってきて、まだ建築は出来ていない。けれども、そろそろ輪郭が出来始めたので、中のお前の担当の展示をやってくれと連絡がきたんです。でも、前に組み立てた展示なんて全部忘れてますからね(笑)。

横尾 さすがエジプトは気の長い話で、日本人と時間の概念がぜんぜん違うんですね。過去も未来もなくて、常に現在なんでしょうね。電話一本するのにもその間十年とはものすごい。生と死が同一化したような国だから、ちょっとのことで驚かないんですかね。カイロで家を建ててる人がいて、聞いたら死後に住む家をイメージして建てていると言うんですね。時間の概念が生死を越えている。ところで、向こうの担当者も全部変わるでしょう?その間死んだりもするだろうし。

磯崎 それは変わります。政府がすでに、もう全然変わってますね。

 それでね、行ってみたら、確かにまだ建物も半分くらいしか出来ていない。

 だけど、いよいよ中の計画も始めなくてはいけないと。それで、また全く新しく編成し直して、そのために五年くらい何回も、エジプトと日本を往復して、新たな展示案を作ったんです。

 ・・・

 そうしたら、あの「アラブの春」です。革命広場にだんだん人が集まり始めて、各大使館からは駐在員がどんどん引き上げ始めたんです。

 ・・・

 今は、またこの間から新しく政権が替わって、やっぱりこの博物館計画は進めなければいけないと方針が変更になりました。政権が替わってしまって、もとの予算も全部わからなくなってしまっているけれど、とにかくやらなくちゃいけないからと言って、また呼び出されます。老体に長距離旅行は無理なので代理に行ってもらうと、「今はラマダーンだから、政府も何も連絡がつかない」というありさまです。そのあとは、「ラマダーンのあとは一ヵ月は休みだから動かないだろう」。

 またどんどんどんどん延びるわけですよ。・・・中身は五千年昔のものだから、気長につき合わなければなとは思っても、体力の限界はあります。それでも建物はほぼ出来上がってきて、中味はまだ、という状態なんですね。

横尾 こんな時間があってないような仕事をする日本人って他にいませんよ。それで、工事は毎日やっているんですか?

磯崎 いや、工事もですね、たとえば日本だったら、生コンといって、コンクリートをまわす車が来て、コンクリートを流し込むじゃないですか?それが、向こうでは、まずはコンクリートを作る工場を建てることから始めるんですよ。

 ・・・

 それに、日本だったらパイプでコンクリートを流し込みますが、現地ではそれを手押し車で運ぶんですよ。でっかい建物がそういう昔ながらのやり方で造られる。

 ・・・

横尾 磯崎さん、僕はね、今まではですね、脳というか頭で考えて行動したり計画を立てたりしていたのが、今はもう身体に聞くんですよ。

 だから、身体が要求していることに従わないと、頭が要求していることに従うと、碌なことない、エライ目に合うんです。

磯崎 僕らは建築屋なので、身体がうまく働かないと、頭も結局ついていかないんですね。やはり身体が先なんだと思うんです。コンディションがよかったらアイデアも出てくるけど、コンディションが悪かったらアイデアもついてこない。・・・

 ・・・

横尾 今は、体調はいいんですか?

磯崎 身体のコンディションに合わせるようにしています。それを無視するとよくないですね。