微妙なセンサー

すべての始まり どくだみちゃんとふしばな1 (どくだみちゃんとふしばな 1)

 印象に残ったところです。

 

P124

 若木くんの書店「BOOKS AND PRINTS」。

 それはそれはセンスが良くて古今東西の優れた写真集やいい雑貨がたくさんあるすてきなお店なんだけれど、お店が入っているビル全体もとてもいい感じなんだけれど、なによりもそこに出入りする方たちの誇り高いお人柄に胸打たれた。

 私が翌日のお昼にお蕎麦やさんにいたら、店長さんの新村さんがわざわざ挨拶しにやってきてくれた。

 その書店とお蕎麦やさんが近いのは確かだけれど、私に負担をかけないように「ちょっと寄った」みたいな感じがとてもよかった。しかもどこかに「来ちゃってごめんなさい」みたいな謙虚さがあった。

 お蕎麦やさんのマスターのゴリさんもたまに蕎麦を打ちがてら「あまりじゃましないようにしよう」みたいなプロ意識と共に、ちょいちょい席にやってきた。その感じもすごくさりげなくてよかった。

 店長さん「ばななさんの『イヤシノウタ』、すごくよく出てますよ」

 私「サインすればよかった、あ、もし時間があまったら後でちょっと寄って書いていきますね」 

 そうしたら、一旦お店に帰っていった店長さんは、お店にあった三冊の本を持ってもう一回寄ってくれた。

「台風だし、僕がこっちに来たほうがいいかなと思って」と言って。

 その三冊に私はゆっくりサインをした。いったいこの本たちはだれのところに行くのかな、と楽しく想像しながら。

 ありがとうございます、と彼は言ってくれたんだけれど、そんな豊かな時間をくれたことにこちらこそが感謝したかった。

 プライドの置き場をそういうところにするのは、きっといちばんいいと思う。

 そういう人たちを見るだけで、私もそういうふうでありたいと軸が定まる。

 自分が自分の思うようにふるまうことができたり、自分の作っているものに自信があるからこそ優しくなれるし、人になにかを強いない。

 この人たちはそういう人たちなんだなと思った。

 自分の人生が満足いくものになるほうが先で、自分のお店に関する大切なことはお金とか名声とか有名人が来るとか、そういうことではない。自分がいいものを見てよくなっていくことのほうが大事で、それで人が喜んでくれたらもっといい。

 若木くんの生き方を育んだものの背景を少し見たような気がした。

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 そういう人がひとりでも増えていけば、世界は変わっていく。

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 店長さんは台風の中駅までいっしょに歩いてくれて、新幹線が動いているかどうか調べてくれて、おすすめのおみやげまで教えてくれて、おしゃれな帽子おしゃれな服で、ずっとにこにこしていて、最後はすっと去っていった。なにも売り込まず、強引な言葉をひとつも出さず。

 

P199

 この間行ったけっこう高級な寿司屋のカウンターに、ふたりの派手でしょうもないおじょうさんがいた。

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 ふたりは寿司屋だというのに強い香水の香りをむんむんさせて、肌も出しまくり。

 寿司が来るたび写真を撮りまくり「かわいい、このフォアグラ超かわいい」「うに超おいしい~」を連発して、最終的に茶碗蒸しを頼み、

「私結局茶碗蒸しが超いちばん好き!」(寿司屋なのに!きっとここで大将はずっこけたはず!私はぷっと酒を吹いた)

「私も~」「あんが載ってる~」「うにも載ってて超かわいい~」と大騒ぎして、「この店超おいしいから、また来ます!」「ね~、また来ようね~、ごちそうさま!」と言い合って、帰っていった。

 香水以外は問題を感じなくて、なんだか嫌いになれなかった。

 この人それぞれ違いそうな、ほんとうに微妙な「センサー」こそが、とてもタイセツな野性の勘なのではないだろうか?

 自分の判断が常に正しい、とは決して思わない。そんなことかけらも思っていない。私にわかるのは、それが私にとってどうであるかということだけだ。それを世界に押しつける気持ちも全くない。ただ考えるきっかけになったらいいと思うだけだ。私にとってすっとなじむか違和感があるか。違和感があっても口に出せない雰囲気なのか、それとも出入り自由なのか。そんなことを考えることを大切に思う。そして自分のことは、自分にしかわかってあげられないことなのだ。

 いろいろなことはいつか淘汰され、自然の法則が答えを出すはずだとはいつも思っている。

 そして、どうしてだかわからないが、自然の法則は多分彼女たちを悪として裁かない、そんな気がする。

 

P206

 昔うちの近所に、ユーラシア料理のようなメキシコ料理のような、でもアジアのような、不思議なメニューのごはんを出す「タケハーナ」というすてきなお店があった。

 全てのお料理に絶妙なバランスで様々なスパイスが使ってあり、ほんのり和風の雰囲気もあり、お酒もおいしく、なによりもいち子さんの動きがすばらしかった。すうっと、流れるように動くのだ。私はよく彼女の動きをじっと見ていた。いっときも止まらないというのに、忙しくていらいらすることもなく、かといって休みたいと内心思っているのでもない。頭の中にあるお皿のイメージのある一点に向かって集中していく姿は神々しかった。

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 やがて彼女はさすらいの料理人になり、ご自宅でレストランをして人をもてなしたり、雑誌で料理のラブレターとして好きな人に捧げるメニューを作ったり、呼ばれてそこのおうちで腕をふるったりするようになった。

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「お金だけが報酬じゃないって、わからないってことはかわいそうなことだよね」

 いち子さんは言った。

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「瀬戸内の島に住むご夫婦に呼ばれて数日ごはんを作りに行き、見知らぬ台所のくせをつかみ、毎日その土地の食材を料理してみんなに喜ばれて、最後の夜に、うんと疲れているけれどとても幸せな気持ちで外に出たら、大きな満月が出て海を照らしていた」と彼女は微笑んだ。

 それこそが宇宙が彼女にくれた報酬なんだと、そこにいただれもが心からうなずいた。あんなに気持ちよくうなずける機会はなかなかないと思う。