身軽に暮らす

身軽に暮らす ~もの・家・仕事、40代からの整理術 (COMODOライフブック)

 6組の方に年代ごとの移り変わりを取材したというこの本、興味深く読みました。

 この吉本さんの、その時その時の違和感を見逃さない暮らし方、大事だなと。

 

P10

 吉本由美さんといえば、ひとり暮らしの達人である。18歳の時、「好きなものに囲まれていたい!実家じゃあ思い通りに暮らせない!」と、親元を離れるため東京を目指す。それから40年以上に渡り、歴代の猫たちと楽器のチェロを引き連れながら、7軒の家を住み移ってきた。スタイリスト時代はおしゃれなインテリアを提案し、エッセイストになってからはひとり暮らしをテーマに数々の著書を上梓している。「自分のペースでぼやっとしているのが好きだから、ひとり暮らし以外はできそうにない」と話す吉本さん。折々で迷いと決断を繰り返しながら、自分に真っ直ぐの道を選んできた。

 ・・・

 上京後はセツ・モードセミナーに通いながら、映画雑誌『スクリーン』の編集部に入る。知人の紹介で大橋歩さんのアシスタントになり、また紹介で雑誌『アンアン』の編集アシスタントに就いた。雑貨やインテリアのコーディネートを担当するうちに、20代半ばで〝インテリアスタイリスト〟と呼ばれる日本で最初の人となる。端から見れば人気の職業にとんとん拍子で就いたように映るが―。

「成り行きでスタイリストになったから、迷いがありました。自分で選んだ仕事じゃないし、たのしいんだけど、これでいいのかなって」

 揺れ動くタイミングで、別の映画雑誌から編集スタッフの誘いがかかり、あっさり転職。

「ところがこれがたいへんで。・・・」

 2年間のブランクを経て、30歳でスタイリストに復帰してからは、気持ちが切り替わった。

「今度はもう、自分が選んでスタイリストになったから、以前とはぜんぜん違って、仕事がたのしくて、たのしくて仕方なかった。・・・」

『アンアン』『オリーブ』『クロワッサン』『エル・ジャポン』など数々の人気雑誌を担当。仕事はとにかく充実していたし、稼ぎも伴って都心にマンションも購入した。

 しかし、40代に入った頃から、ふたたび迷いが生まれてくる。

 ・・・まるで消費をあおるような自分の役割に「こんなはずじゃなかった」と疑問を持つようになった。・・・

 何より「撮影でいるかも」とか「試しに使ってみなければ」などと、仕事を理由に家の中がものであふれていることに、ガマンできなくなった。

 ・・・

 かくして吉本さんは、スタイリストの第一線から退く。「シンプルに暮らしたい」一心で、2LDKの部屋から1DKの部屋に引っ越しも強行。・・・フリーマーケットなどで大幅にものを減らすと同時に、賃貸に出していた持ち家マンションも売却し、余分なものを持たない暮らしに舵をきった。

 ・・・スタイリストの頃から文章を書いてきた吉本さんは、すぐにできる仕事だからとエッセイストで生計をたてたが、次第にそれも居心地が悪くなる。

「物書きになりたくてなったわけじゃないし、これでいいのかなあって、なんか違う気がして。家で引きこもって書く仕事だから、人に会わない日が延々と続くんです。『一週間に一度も人と話してない』なんてこともあって。人としゃべりたいから、お店をやるのはどうかと考えるようになりました」

 ・・・

 リサーチの末、たどり着いたのはバーテンダーの仕事だった。

「知り合いから紹介してもらった恵比寿のバーで修業をはじめたら、すごーくたのしくて、10年間も続いちゃったの。週に一回、あまりにも楽なので、バーテンダーになる意欲は消えて、このままでいいかなあって。バーテンダー修業のプロ(笑)」

 ふだんは家で書きものをして、週に1度はバーで接客をする生活はバランスが良かった。・・・

 仕事や暮らしには迷いを抱えがちな吉本さんも、老いることに対しては前向きだった。

 ・・・

「かっこいいおばあさんになる」のは、吉本さんにとって長年の大きな関心事だ。趣味として「チェロ」を習い続けるモチベーションにもそれが絡んでいると言う。

 ・・・

 ・・・そのスクールには80歳で弾いているおばあさんもいると言う。吉本さんが見学に行くと、ほんとうに、その方がきれいにチェロを弾く姿があった。「私もやります!って即答(笑)。バイオリンはおばあさんに似合わない気がするけど、チェロはね、似合うなあって思った。きれいだったねぇ。低い音だし、音楽もゆるやかだし。その時、私が50代で、80歳ぐらいまであと20年はやれるとわかったから、少しずつでも続けるようになったの」

 50代も半ばを過ぎると、毎日の暮らしは順調にもかかわらず、またもや行き詰った。

「60歳を目前にして、このまま東京で年をとるのかと思うと焦りが芽生えてきたんです。・・・仕事で地方に行く度に『ここに住むのはどうかしら』って、東京を抜け出すことをさぐっていたの」

 行き先が見つからないまま年月が過ぎるうちに、在宅で介護を受けていた両親が施設に入り、熊本の実家が空き家となる。

「Uターンする2年ぐらい前だったかな。最初は熊本に帰るつもりは1ミリもなかったので、掃除とかに通っていたら、とてもたいへんなわけ。やっときれいになっても、また留守にするじゃない。雨戸や鍵を閉めていると、家から『見捨てるの!』みたいな雰囲気がして。毎回すんごく気が重かった。

 ある時ふと、『私が住んじゃったほうがラクなんじゃないか』と思った途端に、パーって雲が晴れたの。心の負担がなくなるし、親にもしょっちゅう会いに行ける。誰が帰るとか、きょうだいで相談する面倒もなくなる。あとは、何十年も離れて知らない街になっているから、地方に住みたい願望もかなう。猫も飼えるし、チェロも弾き放題(笑)。

 ・・・東京だと家賃の負担が大きくて、そのために仕事しなくちゃいけない。実家だとそれがないのも気持ちがラクだったよね」

 こうして44年ぶりに、吉本さんは62歳で故郷に帰り、新たな生活をスタートさせた。

 ・・・

 Uターンして丸2年が経つと、少しずつ知り合いや行きつけの店も増え、熊本暮らしのペースもつかめてきた。規則的には生活できない性分で、朝起きる時間はばらばらだが、起きるとまずするのは猫のトイレの掃除と決まっている。

「それから(お仏壇の)父のお花をきれいにして、お線香をあげて。雨戸の開け閉め、掃除、ゴミ出し、庭を見て……とやってると、すぐ2時間ぐらいたっちゃう。ここまではとにかく作業だからテキパキやる。終わったら、やっとコーヒーいれて、新聞読んで、クッキーを食べてひと息つく。これは昔からの習慣。朝の息抜きはこれですよみたいな感じで、やらないとダメなのよ」

 昼食はとらずに1日2食。夜はきょうだいや友だちなど誰かと一緒じゃない限り外食はせず、自炊料理を家でゆっくり食べている。

「ひとりで夜ごはんを食べにいけるのが大人とか言うけど、私は行けない。ランチならまだしも、ひとりで外食は苦手。別にそれでいいんじゃない?無理することでもないと思う。ただ、お寿司は別かなあ。前にひとりでカウンターに座っていたおばあさんを見かけたけど、かっこよかったねえ。パッと食べて、パッと帰る。あれはやってみたい(笑)」

 ・・・

 東京にいる頃は、ずっと体調が悪かった。胃を痛めていたし、胆石ができて、不眠症もあった。

「ストレスだろうなあ。何でだろう?ああ、こういうのが嫌だし、このことも気になっているんだ。じゃあ、それを消すにはどうしたらいいかな?」

 憂鬱に気づいたら、その気持ちに目を向けて、原因を探し、取りのぞく方法を考える。迷いの多かった吉本さんだが、それを見過ごさないようにしてきた。・・・