気のせいか?

だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール (幻冬舎文庫)

 何かを感じる力・・・「運という言葉を安易に使ってはいけない」というこの辺りのお話もとても印象に残りました。

 

P147

 竹内は「少なくとも山をやっている人間が、運という言葉を安易に使ってはいけない」と何度か口にした。・・・

 ・・・大規模な雪崩に遭遇した竹内は背骨を折る重傷を追い、日本に搬送され、緊急手術を受けた。病院に多くの見舞客がやってきた。彼らの多くから「運がよかった」という言葉を竹内は聞いた。次第に耐えられなくなった。「生きているのが苦痛にさえ感じられる」ほどのことだった。

 私を含め多くの人は深く考えることなく、あるいはほとんど無意識に近いかたちで「運」という言葉を口にしている。そこに竹内は大きく反応した。その言葉の扱い方に反応した竹内の感性と、日本人として最初に14座登頂に成功したことは深く関係があるのではないか。そんな気がしてならなかった。

 ・・・

 それまでは「運がよかった」と言われることに特別な意識はありませんでした。運について、深く考えたことはなかったのです。・・・

 あの雪崩のことは割合、頻繁に思い出します。いまは、うなされなくはなりましたけど、そのときの夢を見て目が覚めることはあります。でも、それは恐怖からではありません。夢の中で考えて、ハッと思う。結局、あれは何だったんだろうと考え続けていくことでしか自分を保つことができなくなってるんです。それを運という言葉で片付け自分を保つ人もいれば、忘れることで保つ人もいるかもしれません。ただ、私はそれを考え続けていくことでしか、自分を保つことができない奴だと思っています。

 


P151

 13座目のチョー・オユーには二度目の挑戦で登頂に成功した。・・・1年前は山頂までほんの数百メートルという地点まで到達しながら下山した。理由は雪崩の危機がすぐそこに迫っていると、竹内が感じたからだ。

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 そのとき、竹内は雪崩が起きる可能性を強く「感知」した。「もう登れない」と判断したのだ。しかし、その判断に「10歩遅れた」と竹内は語る。その遅れを「いまでも非常に悔しい」と感じている。

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 私はあのとき、リスクを考えたのではありません。登れるのに登らない判断ではなく、登れないから下るという判断をしたんですね。・・・正直、下りながら、来年またここまで登ってくるの?っていう思いはどっかにありました。・・・

 感情というのは、力にもなると思うんですけど、ときに事実を覆い隠すような気がするんです。感情があまり強くなると、冷静な判断ができないんですよね。やっぱり自分の都合のいいように判断をするというか。

 よく映画とかで、気のせいか?って言ったりするとその後、敵にやられてしまったりしますね。おや?何だ?気のせいか?って、何かおかしい音がしたのに、気のせいだっていうふうに自分に都合のいいように判断をするのは、作り話の中でさえもよく使われるパターンです。気のせいじゃないと思ったならば、敵がいるかもしれない、何かが襲ってきてるかもしれないと思うけど、そういうふうには思いたくないから、その感情によって、気のせいにしてしまう。

 それと同じように、雪崩が起きる、起きないの限界点の物理的な力のバランスがこれから崩れようとしている事実に対して、いや、大丈夫だって言うっていうのは、やっぱりそれは、頂上に立ちたいっていう感情が先走ってしまうゆえに、見ないようにするわけですね。・・・

 あのとき、私は想像できました。ここで自分が雪崩に巻き込まれてどうやって死んでいくかっていうことを。・・・その想像力と、なんかやばいっていう恐怖心というものを利用して、危険性を回避していくしかないと思いますね。

 ・・・そこに立ったとき、ハッと気がついたんです。気がついたからこそ、あの氷の塊が落ちてきたら、どんなふうに自分は死んじゃうんだろうと思うから、すごく怖くなってくると思うんですよ。恐怖心が湧くからこそ、そこから逃げようと思うのですね。だから、最初に気がつくっていうのはすごく動物的なものだと思うんです。

 ・・・あるとき、以前からお会いしたかった登山家の川村晴一さんにお目にかかったんです。川村さんは私の登山を気にしてくれていたようで、私がチョー・オユーから引き返してきたときの話になると「あれ、なんかおかしいって思ったから帰ってきただけなんだろう」と訊かれたんですよ。「はい」と答えると、「ああ、だったらきっとね、きみは14座登れるよ」とおっしゃってくれました。

 たぶんそういうことでしかないような気がするんですよ。

 でもあのとき、私はハッと気がつくのに10歩遅れたんです。たった10歩と思われるかもしれませんが、山の10歩は平地とは随分違います。あれはいまでも非常に悔しいですね。

 私はまず、破断面を見てるんですよ。破断面だって認識してるんです。なのに、私は、アッ、それやばいだろうって思うまでに10歩進んじゃったんです。

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 どこかで、ここまで来てるから頂上に登りたいという思いで、見て見ぬふりしていた感じがなかったことは否定できません。だから悔しいんです。余分な感情がそこに入り込んでしまったことが、いまでもすごく嫌なんです。