いろんな感情

だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール (幻冬舎文庫)

 雪崩にあって奇跡的に助かった経験についてのお話です。

 

P119

 雪崩に巻き込まれた竹内の身体は約300メートル落ち続けた。その途中で意識を失った。再び意識を取り戻したとき、目の前は真っ暗だった。最初に思ったことは「生きている」ではなかった。「止まっている」だった。

 目の前が暗かった。その状況は多くの場合、雪の深いところに埋まっている可能性が高い。雪中には太陽光が届かないからだ。竹内の頭をよぎったのは知識として知っていた「雪に埋没しても8分から15分ぐらいは人は生きている可能性がある」というものだった。死ぬまでに15分はいらないと竹内はその状況でとっさに思った。

 パニック状態となり、竹内は激しく身体を動かした。すると左手が雪の外に出て、斜面を触った気がした。そのことにより、自分の身体がどっちを向いているかがわかった。頭が下を向いていることを理解した。

 竹内は懸命に雪を掘ろうとした。でもうまくいかない。やがて疲れ切ってしまった。また意識を失いかけた。次に意識を取り戻したのは激痛のためだった。駆けつけたスイス隊の一人が左手を引っ張ったのだ。

 

 それまで痛みなんか感じなかったんですけど、掘り出された途端に、凄まじい痛みで。そのときはわかりませんけど、背骨が折れてるわけですから。体中が痙攣しちゃって、もう歩くどころじゃないです。立ってられない。だけど私は抱えられながら歩かされて、斜面を横切って、今朝登ったルートに戻って寝袋に詰められて、寝袋を橇代わりにしてガーッと下ろされました。

 C2にはドイツ人の医者がいたんです。君はもう駄目かもしれないから家族にメッセージを残した方がいいって言われたけど、そんな英作文してる場合じゃないですし、自分が生きるのか死ぬのかもよくわからない状態で。錯乱状態で、助けなくていいっていう状態でした。もはや大混乱。全然整理されてないんですよ。怪我したのは自分だけだと思ってるし。

 ほかのメンバーはどうなってるのかっていうか、どうなってるんだろう?とも思ってない。

 ・・・

 C2のテントから運び出されたときに、目の前に寝袋が一つ置いてあったんです。あれを見たときにすべての整合性が頭の中で組み上がっていきました。何が起きたか全部わかったのです。その状態がどういうことなのか私たちにはわかるわけですよ。外で寝てる人がいるわけがないんですから。それを見たときからは私は文句を言わなくなりました。

 絶対生き延びてやると強く思いました。

 ・・・

 大変なことが起きてる。そこで漸く気がつきました。本来だったら、自分が死ねばすむことなわけです。自分さえ死んでしまえば、ハッピーエンドじゃないけど、危険なレスキュー(救助活動)をみんなにしてもらう必要はない。それでいいと思ってた。でも、犠牲になった仲間がいて、生き残った自分がいるということを知り、そういう状況ではないことに気がついたのです。

 ・・・

 11ヶ月後に再び、ガッシャブルムⅡに向かいました。そのときはいろんな思いが渦巻いていました。・・・

 ・・・前年の事故の際に自分では下りてきていないので、私の山のルールに照らせばですね、自分で下りてこないというのは死んでないといけないはずなんです。それが死にもせずに、自分の足で下りてきてもいない。それは、やはり私がやってる登山においては、もう許しえないことなんですね。

 非常に勝手な、私の中での決着のつけ方ですけど、もう一度自分で登り直して、自分で下り直してくるということをしたかった。・・・

 ・・・

 医者には「2,3年治してから」って言われましたけど、私にとっては、それをしないことには、自分が生きていることの説明がつかないんです。・・・

 ・・・あそこで私を助けるというのは本来無理なんです。それがいろんな人の尽力で、本当にいろんなことが上手く結びついて助けてもらった。本来は死んじゃってるんですよ。そこにいた誰か一人でも欠けたら私は助からなかったように、一人一人から少しずつ命を、新しい命を分けてもらったような感じがするわけです。・・・

 ・・・

 私は事故現場に立ちたかったのだと思います。・・・そこに立てば、あのとき自分で見抜けなかった、想像がおよばなかった雪崩の原因とはいわないけど、何かを見つけ出せる気がしました。・・・

 ・・・

 ところが、実際、行ってみると、それは当たり前といえば当たり前なんですけど、ただの斜面で、何の痕跡もないんですよ。そこに立ちさえすればわかるのでは、という独りよがりなことを考えたんですけど、立ったからといって雪崩が起きた事実はなくならないし、死んだ人が帰ってくるわけでもない。

 自分がやったことはあまりにもくだらないことだったんです。なんか腹立たしいものがありました。・・・すごくがっかりもしたんです。・・・

 ・・・

 そこに立つまでは、再び立つことで、あれかとか、これだったのかっていうような、頭に残ってる情報が整理されるというか、裏返しになった裏に何があったかが見えるような感じがあったんです。

 ・・・自分は何故、こんなことにこだわり、ここまで来たのか。その行動にはっきりいってがっかりしました。

 雪崩に遭った地点からさらに登り始めると、明らかに意識は変わりました。越えちゃったら、もうあとは頂上に登るだけみたいな。意外と淡々としていました。でも、登頂したとき、泣いてしまいました。私はいままで登頂しても泣いたことはないし、登頂できなくても泣いたことはなかったのですが。・・・いろんな感情が湧き出て、頭の中が止まったんでしょうね。・・・頭の中の混乱を整理させるためにきっと人間って泣くんでしょうね。