立ち止まったときに

確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい (集英社文庫)

 高校を辞めたくなった野口さん、こういう体験ができたら助かるだろうなと思いました。

 

P67

 高校への仮進級直後、先輩を殴るという暴力事件を起こして僕はついに停学を言い渡された。・・・

「親父、一ヵ月間の謹慎処分だ」

 と告げると、親父が、

「いや、まあ聞いているけど、お前が一ヵ月も家にいてもロクなことはないだろう。勉強できなくて、イライラして人を殴ったお前が、家にずっといてもロクなことないから、どっか旅にでも行ってこい」

 と言った。

「でも、自宅謹慎でしょっちゅう学校から電話がかかってくる。そのときに僕が家にいないといけないから、旅なんてできないよ」

 ・・・

「親父、もう俺学校なんか中退する」

 でもそれは、どこかで「中退してやる」という投げやりな気持ちで言ったこと。本当は親父が「高校くらい卒業しろ」と止めてくれるだろうという大前提のもとだった。しかしそれが意外な展開へ。

 親父はニコッと笑い、

「そうか、お前やめるか!」

「え?」

「いや、あそこ学費が高いから助かるなあ。そうか、やめるか。そりゃ助かる」

 僕は、親父がどこかで止めてくれるかと思っていたからガクッときた。

 さらに親父が言ったのは、

「俺も東大から外務省に行って今は特命全権大使になった。東大ー外務省ー大使。一般的に言うとおそらくエリートだろう。でも俺はしょせん公務員だ。あと十年もしたら退官だ。大使という肩書きはあくまでも外務省の中のポストでしかないんだ。俺の肩書きじゃない。だから退官したら、俺には何も残らない。これってわびしいんだよなあ~」

 親父の周りにはカメラマンとか画家とか、自分の腕で食べている人たちがけっこういて、よく「あいつらいいなあ~」と羨ましがっていたことがある。

 ・・・

「どうせ生きるなら、野口健という名前が肩書きになるような生き方をしろ。人生楽しいぞ。そういう意味で、学歴が必要ないなら格好良くやりゃあいいじゃないか。ただ、俺にはこういうことをやるんだという明確なものがないにもかかわらず、つらいだけで学校をやめるならまったく逃げでしかない」

 ・・・

 ・・・親父には中退はちょっと待ってと言い、大阪のおじさんのところを拠点にして京都や奈良に旅に出ることにした。

 ひとりでずっと二週間くらいあちこち回った。京都のお寺のことなんてあまり興味がなかったけれど、ただぼうっと歩いているだけで落ち着く雰囲気がある。

 清水寺からずっと歩いて行くと墓があって、夕方通るとカラスがカアカアと鳴いている。妙にしっくりくる。そこに三日くらい通っていると、お寺の住職さんが「どうしたんだ、いつも来て」と声をかけてくださった。

 僕が停学になった話をすると、

「そうか、でもまあ、どんなに悩んでも月日は流れているからなあ」

 そんな話をする。

 深い意味もわからないけれど、なんとなく、そうだよなあ僕が停学になってもクラスのみんなは勉強しているだろうし、仮に僕が死んでもいろんなことが進んでいくだろうからと、ぼうっと思いながら心が落ち着いていく。

 妙にいろんなことを考えた。あれが良かった。

 高校生の頃なんて、日頃あまり自分についてじっくり考えるなんてことはしない。あのとき初めて自分について考えたと思う。