アブディンさん

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)

「わが盲想」のアブディンさんの話が載ってました。
ここではマフディという仮名になっていましたが。
ハンディはいつでもハンディな訳じゃないというエピソード、新鮮でした。

P235
 たまげたことに彼は、筑波短大の視覚障害者コースを二年で辞め、東京外国語大学に「一般入試」で入学した。他の日本人に混じって同じ試験を受けて難関の国立大学に入ったのだ。
 ・・・
 さて、大学合格であるが、全学を通して、一般受験で受かった外国人は、他に中国人・台湾人と韓国人だけだという。漢字ができる中国系と、もともと漢字を少し知っており日本語そっくりの文法の言語を母語とするコリアン系以外は、事実上、不可能らしい。
 マフディはそのうえ目が不自由であるというハンディを乗り越えたのだ。
「すごいなあ!」と感嘆したら、マフディは笑い飛ばした。
「タカノさん、それ反対ですよ。ぼくは盲人だから受かった。ラッキーなんです」
 彼によれば、他の外国人はみな漢字でつまずく。だが、彼は点字で試験を受けるから、初めから漢字など関係ないのだという。
 そういえば、マフディはすごい読書好きだった。スーダンには一般の本もろくにない。ましてや視覚障害者向けの本など皆無だ。それが日本では点字やカセットテープの本がいくらでもある。彼は「もう感激して読みまくっている」と言っていた。
 読みまくるだけではない。私にも電話で報告する。
「タカノさん、三浦綾子の『氷点』はおもしろいよ!『赤紙』とか『非国民』とか出てくるんだけど、今のスーダンと同じなんですよ」
「タカノさん、天童荒太の『永遠の仔』読んだ?あれ、どう思う?ぼくはけっこうおもしろかったけど、ちょっとテーマが重いよねえ……」
 ときには、説教までされる。
「タカノさん、金城一紀の『GO』、すっごくおもしろかったですよ。あれで差別の感覚が変わったな。タカノさん、読んだ?え、読んでない?ダメだよ、読まなきゃ……」
 ・・・
 考えてみれば、これもマフディが視覚障害者であったから可能だったはずだ。いくらマフディが天才的な言語能力と記憶力の持ち主とはいえ、日本滞在たった五年で、太平洋戦争から現代の社会問題までカバーする、これほど多彩な小説を読めるようにはならなかったろう。
 ハンディはいつ、どこでも、誰にでもハンディなわけじゃないのだ。
 ・・・
 そうは言っても、やっぱりマフディはすごい。試験では「日本史」も科目に入っていた。それもちゃんと彼はこなしたのだ。
「ちょうどチソカイセイについて書けという問題が出た。ぼくは明治維新が大好きだから、もう思いっきり書いたよ」
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「先生は驚いてましたよ。ほら、八番バッターがホームラン打ったらびっくりするでしょ?あれと同じですよ」
 マフディは得意の野球ジョークを飛ばしていたが、私は心底びっくりした。・・・
 彼によれば、外国人は日本史がまったくできないという。明治時代なんか、誰もやろうとしない。資料を読むのがあまりにたいへんだからだ。しかし、今は点字に訳された資料がたくさんあり、音読のボランティアもいる。・・・
明治維新は、遅れた国がどうやって先進国になったのかという点で、すごくおもしろい。途上国から来た留学生がいちばん勉強すべきことなのになあ。目が見える人はかわいそうだね」
 マフディはシシカバブをかじりながら、しみじみとした調子で言った。