おやじはニーチェ

おやじはニーチェ―認知症の父と過ごした436日―

 高橋秀実さんの本、またしても絶妙な味わいでした。

 

P71

認知症って知ってる?

 食事を終えた父に、私はついに問いかけた。いざとなるとなかなか切り出せなかったのだが、その日は食べる前から「いやあ、うまい。うまいなあ」と歓声をあげ、すこぶる上機嫌の様子だったので世間話のように訊いてみたのである。というのも認知症の要は「病識」らしいのだ。

 ・・・

 重要なのは、もの忘れ自体ではなく、それを問題視して対策を講じるか否かということ。・・・

 ・・・

認知症?知ってるよ」

 さらりと答える父。

―知ってるの?

 私が驚くと、父が続けた。

「忘れっぽくなるんだろ。自然に寝てなさいってことだよな」

―寝てなさい?

「寝ればいいんだと自分に言い聞かせてね。とうとう今日もダメだった、と思って寝る。自分でいろいろ段取りしたんだからね。それでもダメだった、と思って寝る」

 わかっていたのか、と私は感心した。しかしその口ぶりはどこか他人事のようでもある。

―で、お父さんは認知症なの?

 単刀直入にたずねると、父は「う~ん」と唸った。

「それは難しいよ。ああでもないしこうでもない。こうでもないしああでもない。で、失敗してこうなってさ。いかに、いかに、ってことでさ……」

 嚙みしめるように「いかに」を繰り返す父。いかに何?と思っていると「このお茶おいしいね。さすがヒデミネ君がいれると、おいちい(美味しい)」とお世辞を言った。ごまかしているようでもあるので、私が「認知症って知ってるよね」と蒸し返すと、どう聞き違えたのか、「そう。あのあたりはお巡りさんがいる」とわけのわからない返答をした。

―お父さんは忘れっぽくなってない?

 質問を変えると、驚いたように私を見つめる。

「あ、そう?」

 答えにくい疑問文は疑問文で返す、というのが父の論法だった。

―そう、じゃなくて。

「そうなのか?」

―お父さんは認知症

 どさくさに紛れるように畳みかけると、父は力説した。

「でもなんだかんだ言ってもさ、お茶はあったかいほうがうまい。何を言われたって、うまいもんはうまい!」

 埒が明かないので私はノートに「認知症」と書き、父に見せた。

―読める、これ?

 父はノートを見つめ。すっと答えた。

「にんちしょう、じゃん」

―そう。それでお父さんは認知症

「えっ、ヤマモトハツエ?」

―ヤマモトハツエって誰?

 思わず問い返す私。「オトウサンワニンチショウ?」が母音交替などで「ヤマモトハツエ?」に聞こえたのだろうか。

「ヤマモトハツエ?」

 まさか初恋の人などではないかと私は邪推した。

―だから誰、それ?

「誰って、誰が?」

―ヤマモトハツエ。

「誰だ、それ?」

 訊いているのか訊かれているのかわからなくなる。会話の自問自答化というのが認知症の特徴かもしれない。

―いや、だから俺はね、「お父さんは、認知症なのか?」と訊いているの。

 あらためて主語述語を区切ってたずねると、父は真顔で反論した。

「そうじゃなくてさ」

―そうじゃない?

「そうじゃなくて俺は小学校しか行っていないんだ。生まれたのがちょうど根岸の競馬場あたり。わかる?前に川が流れていてさ。山元小学校。そこしか行ってないんだよ。ほら、橋があってさ。そう、打越橋。そこずーっと行くと裏が土手でさ……」

 ヤマモトハツエの「ヤマモト」とは、父の母校である山元小学校のことだったのか。そして自分は認知症ではなく、学歴が小学校中退だと訴えているのだろうか。

 いずれにしても話はいつも通りに収斂した。どんな話題であっても、結局は子供時代の話に返っていくのである。

 ・・・

 いつまで話し続けるのか……。

 そう考えて、私はふとフリードリッヒ・ニーチェの「永遠回帰」を思い出した。

 

 わたしは、永遠にくりかえして、同一のこの生に帰ってくるのだ。

ニーチェ著『ツァラトゥストラ手塚富雄訳 中公文庫 1973年 以下同)

 

 まるで父の宣言のようである。ニーチェもひたすら回帰するわけで、なぜ回帰するのかというと「万物は永久に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する」から。確かに季節も繰り返すし、月日や時刻も繰り返しており、時は周期的に回帰する。・・・ニーチェによれば、回帰を繰り返す中で人間の精神は変化を遂げていく。重荷、つまり義務に耐える「駱駝」から、自由をわがものにする「獅子」となり、最後は子供(小児)に回帰するのだという。

 

 小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。

 

 小児とはすなわち「忘却」。すべてを忘れることで「新しい開始」となる。忘れるからこそ繰り返されても肯定できるのだ。ニーチェは忘却を「一つの力、強い健康の一形式」(ニーチェ著『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 2010年改版 以下同)としてとらえ、次のように断定していた。

 

 健忘がなければ、何の幸福も、何の快活も、何の希望も、何の矜持も、何の現在もありえないだろう。

 

 私たちは忘れるから幸福になれる。・・・

 ありがたき忘却力ということか。

 ・・・そもそも日本語の「忘る」とは次のことを意味していた。

 

 意識のうちにあるものを、努めて忘れようとする。思いを絶とうとする意志的な行為をいう。

白川静著『新訂 字訓[普及版]』平凡社 2007年)

 

 ・・・

 私が解釈するに、「忘れよう」という意志を持つことは、忘れられないということの確認である。忘れられないから忘れようとするわけで、忘れたことについては忘れようという意志も持ちえないのだから。何かを忘れたい場合はそのことを「忘れよう」とするのではなく「忘れられた」ことにする。意志を介在させずに「こと」を消去する。忘れられたことなら忘れるまでもないのだ。言い換えると、とぼけることでボケるわけで、おそらく父もそうやって生きてきたのではないだろうか。そう考えると、認知症でいう「経験したこと全体を忘れる」「経験そのものを忘れる」(鳥羽研二著『名医の図解 認知症の安心生活読本』主婦と生活社 2009年)などは苦悩から解放された理想の境涯といえるのである。もし父に正確な記憶があったら、と考えるとぞっとする。これまでに私が父にしてきたこと、過去の家出や数々の失言や暴言をすべて記憶していたら、介護どころではないだろう。何事もすっかり忘れてくれるから、昔から親孝行だったフリもできるし、介護も可能になる。前日のことを覚えていたら、部屋の片付けもいちいち「何をしたんだ?」と作為を疑われるが、すっかり忘れているので黙って片付けても最初からそうだったかのように見える。怒っても忘れるから仲直りできる。細かいことを忘れるから毎日フレッシュな一日をスタートできるわけで、ニーチェの言葉を借りるなら「忘れるということは、なんとよいことだろう」(前出『ツァラトゥストラ』)と感謝したいくらいで、認知症でよかったような気もするのである。

 もしかすると父はニーチェなのかもしれない。「ニンチ」(認知症のこと)ではなく「ニーチェ」。ニーチェだと思えば、父への理解も深まるのではないだろうか。