IN LOVE

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー (新潮文庫)

 思い込みや先入観など、できるかぎり外したいなぁ・・・と思いつつ読みました。

 

P162

 『タンタンタンゴはパパふたり』という絵本がある。英語の題名は『And Tango Makes Three』。ニューヨークのセントラルパーク動物園で恋に落ちた二羽のオスのペンギンの話で、実話に基づいている。

 他のペンギンたちが子どもをつくる季節がきて、卵を産み、温めているのを見た二羽のオスのペンギンたちは、卵に似た石を拾ってきて温め始める。それを見た飼育係が、二羽はカップルなんだと気づき、放置された卵を二羽の巣に置いておく。するとカップルのペンギンは交代で卵を温め、やがてペンギンの赤ん坊が誕生して彼らはパパになり、赤ん坊はタンゴと命名される、という話である。

 この絵本は、英国の保育業界では「バイブル」と言っていい。『はらぺこあおむし』や『かいじゅうたちのいるところ』と同様、どこの園にも必ずある名作だ。わたしも幾度となく読み聞かせの時間に子どもたちを椅子の周りに座らせて読んだ。この本を読み聞かせるのは3歳児と4歳児の部屋だった。英国では、公立の場合は満4歳の9月から小学校に入学するので、いわゆる年長組ということになる。

 わたしの住むブライトンは、英国でもLGBTの人々が多く住んでいることで知られており、「英国のゲイ・キャピタル」と呼ばれることもある。以前、民間の保育園に勤めていたときには、LGBTの人々のエリアとして知られる地区にあったのでタンゴと同じように同性の両親を持つ子どもたちが何人も来ていた。

 そこでこの絵本を読み聞かせていたときに、興味深かったのは、子どもたちがいつもウケていた箇所である。このぐらいの年齢の子どもたちは、同じ絵本を何回も大人に読んで欲しがる。もういい加減で飽きているだろうと思っても、何度も同じ話を聞いて、一字一句を暗記し、保育士と一緒に声を出すようになる。そして毎回同じ場所で喜び、笑うのだ。

 子どもたちが大好きなのは、動物園の飼育係が二羽のペンギンはカップルなのだと気づくシーンだった。

「They must be in love」

 という言葉が大好きで、子どもたちはその箇所になるのを待つようにして息を潜め、そこになると二十数名で一斉に、

「They must be in loooooooove!」

 と叫ぶのである。

 くすくす、と恥ずかしそうに笑っている早熟な女児たちや、どこかきまり悪そうに笑いながら顔を見合わせている男児たちは、ペンギンがオス同士で恋に落ちたことを笑っているわけではない。性を意識し始める年ごろに、「IN LOVE」という言葉を口にすることがくすぐったくて笑っているのだった。

 これは他の絵本を読むとき、例えば、プリンセスとプリンスが恋に落ちたりする場面でも同じような反応が返ってくるのでわかった。子どもたちには、誰と誰が恋に落ちるのは多数派だが、誰と誰が恋に落ちるのは少数派、みたいな感覚はまったくない。「誰と誰」ではなく、「恋に落ちる」の部分が重要なのだ。

 子どもたちは、ペンギンの赤ん坊が「タンゴ」になった理由についても興味津々だった。「It takes two to tango(タンゴは2人で踊るもの)」という諺にちなんで「タンゴ」と名付けられたことが大人ならピンと来るし、絵本の中でもそれをほのめかす表現はあるが、子どもたちにはその諺の意味がわからない。

「タンゴはひとりでは踊れないからね。つまり、2人で協力しないとできないってことだよ」

「タンゴが卵のとき、パパたちが2人で温めたから?」

「そうそう、2人で毎日交代で温めたからタンゴが生まれたでしょ」

「僕が卵のときもパパとママが交代で温めたのかな」

「違うよ、人間は卵から生まれない」

 などと話している子どもたち。中にはこんなことを言っている子もいる。

「タンゴもジェームズと同じでパパが2人だから、いいなあ。うちもパパ2人のほうがよかった」

 その子にわたしは聞いてみる。

「なんでパパ2人のほうがいいの?」

「だって、3人でサッカーできるもん」

 すると隣から別の子が言う。

「えーっ、ママが2人のほうがいいよ」

「なんで?」

「ママのほうがサッカーうまいもん」

「僕んちはママだけ。でも時々ママのボーイフレンドが来る」

「うちはパパひとりとママが2人。一緒に住んでるママと週末に会うママ」

「うちのパパはいつもはパパなんだけど、仕事に行くときは着替えてママになる」

 いろんな家庭のいろんな子どもたちがいた。同性愛者の両親を持つ子ども。週日は義理の母と暮らし、週末になったら実母の家に泊まりに行く子。女装のパブシンガーの父親を持つ子ども。彼らは自分の家庭が他の子の家族と違うことをまったく気にしていなかった。それぞれ違って当たり前で、それを悪いとも良いとも、考えてみたことがないからだ。

 ・・・

 子どもたちには「こうでなくちゃいけない」の鋳型がなかった。男と女、夫婦、親子、家庭。「この形がふつう」とか「これはおかしい」の概念や、もっと言えば「この形は自分は嫌いだ」みたいな好き嫌いの嗜好性さえなかった。そうしたものは、成長するとともに何処からか、誰かからの影響が入ってきて形成されるものであり、小さな子どもにはそんなものはない。あるものを、あるがままに受容する。幼児は禅のこころを持つアナキストだ。