ワイルドサイドをほっつき歩け

ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち

 

 イギリスの知らなかった側面が書かれていて、興味深かったです。

 あとがきにはこんなことが書いてありました。

 

P248

 これを書いているいま、英国は真っ暗な夜である。

 十二月の総選挙でジェレミー・コービン率いる労働党が大敗したので、ジョンソン首相の保守党が今後五年間は政権を握ることになった。

「それどころか、もう、あと十年間は労働党が政権を取ることはないかもな」

 うちの連合いはそう言う。これに賛同する人々は少なくない。

 総選挙は、いろいろな陣営の人々にとって天下分け目の戦いだった。

 EU残留派にとっては最後の望みをかけた決戦だったし、所謂リベラルや左派を自認する人たちにとっては、ジョンソン首相を首相官邸から引きずり出すための聖戦だった。

 投票日の前、連合いを含めたわたしの周りのおっさんたちは、これまでの選挙前には見たことがないほどディープに悩んでいた。

 なんやかんや言って、これまではその生涯を通じて労働党に投票してきたおっさんたちである。それが「私立校の校長みたいなコービンは嫌い」「コービンは頼りなさ過ぎ」と言ったり、「労働党EU離脱国民投票の再実施をやると言い出したのは、離脱派への裏切り」と憤慨したりして、どこに投票していいかわからないと懊悩していたのである。

「俺もいまの労働党には投票できない。だけど、俺は保守党にも入れられない。かと言って自由民主党みどりの党も嫌で、どこにも入れたくない。こんな選挙は初めて」

 うちの連合いもそう言って深い苦悩に打ち沈んでいた。

 投票日の一週間ほど前、飲み会で他のおっさんたちと会ったときにも、やはりみんな同じようなことを言っていた。静かでおとなしい日本人女性として売ってきたわたしも、このときばかりは黙っていられないと思ったので、パブの一角で演説をぶちあげた。

「今回の選挙は、あなたが労働党なら労働党に入れなきゃいけない。EU離脱がどうのとかコービンがどうのとかそういうことはいったん脇に置いて、労働者なら労働党に入れる。だって保守党が本当に労働者のための政治なんかすると思うの?思ってるならアホでしょ。バック・トゥ・ベーシック。労働者なら労働党!」

「そうだよな……」「それしかないかも」とおっさんたちは頷いていた。

 投票日、連合いは労働党に入れたと言った。ほかのおっさんたちも、ほとんど労働党に入れたと言っていた。

 が、イングランドの中北部は違っていたようだ。

 親子代々労働党の支持者だったという北部出身の知人はこう言った。

「投票所で保守党に票を投じたとき、死ぬまで労働党に入れてきた親父と祖父が見ていると思ったら手が震えた。地元の俺の友人たちは、みんな同じようなことを言っていた」

 こういうことを言っている中北部の人たちの映像を何度もニュース番組で見た。選挙結果を示す地図を見ると、労働党ハートランド(心臓部)と呼ばれた中北部の地域が、見事に保守党のカラーであるブルーに染まっていた。

 ・・・

 わたしはこれまで(そしてこの本でも)、英国の労働者階級のことを書いてきたつもりだ。が、それはあくまでもブライトンやロンドン周辺の人たちの、つまりイングランド南部の話だった。

 いつか中北部に行って、そこで労働者のおっさんたちの話を聞いてみたい。ブレグジットから何年か過ぎてほとぼりが冷めた頃、「あなたはどっちに入れたの?」「どうしてそんなにEU離脱が大事だったの?」とパブで見知らぬ人びとに尋ね歩きたい。タクシーの運ちゃんと語り合ってみたい。

 この本を書いたことで、わたしには新たな目標がひとつできた。

 そんなわけでいよいよEUを離脱する英国(この原稿を書いた四日後、二〇二〇年一月三十一日に英国はEUを離脱)は、どこへ流れ着くとも知れない風雪流れ旅へと船出する。・・・

「まあなー、でも死ぬこたあねえだろ。俺ら、サッチャーの時代も生きてたし」

 と連合いは言う。

 そりゃそのとおりだ。英国のおっさんたちは、スウィンギング・ロンドンも、福祉国家の崩壊も、パンク時代も、サッチャー革命も、ブレアの第三の道イラク戦争も、金融危機も大緊縮時代も見てきた、というか、乗り越えてきた。

 政情がどうあろうと、時代がどう変わろうと、俺たちはただ生き延びるだけ。

 彼らを見ていて感じるのは、そんないぶし銀のようなサバイバル魂だ。ちょっと愚痴は多いし、やけくそっぽい性質もあり、いい年をしてどうしてそんな無謀なことをするのかと呆れることもあるが、杖をついてもワイルドサイドを歩きそうな彼らのことをわたしはこれからも見守っていくことになるんだろう。

 ・・・

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で青竹のようにフレッシュな少年たちについて書きながら、そのまったく同じ時期に、人生の苦汁をたっぷり吸い過ぎてメンマのようになったおっさんたちについて書く作業は、複眼的に英国について考える機会になった。二冊の本は同じコインの両面である。・・・