稀食満面

稀食満面 - そこにしかない「食の可能性」を巡る旅 -

 稀人ハンター川内イオさんのエッセイ、今回も素敵な方ばかり紹介されていました。

 

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 僕はこの8年間、ひたすら日本全国の稀人を追ってきた。

情熱大陸』や『プロフェッショナル仕事の流儀』『セブンルール』など、人物に焦点を当てたテレビのドキュメンタリー番組をよく観るという方も多いだろう。

 僕は自分の仕事について説明する時、よくこう答える。

「読む『情熱大陸』を書いてます」

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 稀人の取材が1時間で終わることは、めったにない。2時間、3時間になることはざらだし、4時間、5時間に及ぶこともある。ここ1,2年で一番長い取材は、10時にスタートして17時に終わった。その時は、17時から先方に予定があってのことだったから、もしなにもなかったらいつ取材が終わったのかわからない。

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 どれだけ長時間インタビューしても、それで原稿料が増えるわけじゃない。・・・稀人ハンターは非効率だと感じる人もいるかもしれない。

 その考え方は理解できるけど、僕には取材に時間をかけないという選択肢はない。僕が取材に行く稀人は、誰もがリスクを負って一歩を踏み出し、頭と体を使って圧倒的な試行錯誤を重ねているうちに、気づけば飛び抜けた存在になっていた人たちだ。そこには、目先の利益だけを考えるコスパ思考は存在しない。

 だからもし、僕がコスパ優先で彼ら、彼女らと向きあったら、あっさりバレるだろう。稀人たちは頭脳明晰で勘も鋭いから、そういう時は取材者が求める答えを1時間以内で流暢に話し終え、笑顔で立ち去るはずだ。

 そうやって小一時間で誰にでも聞き出せるエピソードは、だいたいすでにどこかのメディアで報じられている。僕からすると、同じ話を聞いてもつまらないし、新たに記事を書く必要もない。

 誰も聞き出せていない、もしくはそれまで誰も書いていない稀人像を引き出すことに価値がある。そのためにはいくらでも時間を割くというのが、稀人ハンターのスタンスだ。・・・

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 この本には、「食」に携わる9人が登場する。・・・

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 僕にとって、この9人の稀人は単に「おいしいものを作っている人たち」ではない。

 腹回りを見れば納得だと思うけど、僕はおいしいものが大好きだし、それを作る人たちにも興味があって、食にまつわる取材を重ねてきた。

 その過程で、「未来への希望」を感じる挑戦に出合ってきた。この本は、それらをまとめたものだ。

 例えば、秩父の森で国産のメープルシロップを作ることで、「伐る林業から伐らない林業」に転換しようという試み。

 北海道の十勝では、冬の仕事を生み出すためにたったひとりで作り始めた国産ポップコーンが年間60万個売れる大ヒット商品になり、地域に雇用が生まれている。

 茨城県鉾田市には、科学的アプローチによる「土づくり」で常識を覆す栄養たっぷりの野菜やフルーツを作り、受賞を重ねている人がいる。

 ほかの6人も含め、登場者たちに共通しているのは、食を通じた独自の取り組みによって、地域や社会に新たな可能性を提示しているということ。

 僕は稀人の取材を通して、「おいしい」を超えた食の持つ力、そして希望を肌で感じた。

 

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 2006年4月1日に就職した井原さん・・・同月、千葉の船橋に1号店を出したイケアは、9月に横浜市の港北で2号店のオープンに向けて、海外からも助っ人チームが送られてきた。そのメンバーたちとフォークリフトを走らせながら、昼休みや仕事の後に一緒にご飯を食べたり、休日には日本を案内したりした。

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 港北店がオープンしてからは、さまざまな部署で働いた。その過程で、マーケティングやプロモーション、ウェブでの発信、マネジメントなどビジネスに必要なことを身に着けていった。店舗の売り上げ目標があり、いかにチームでそれを達成するか、四苦八苦することもあったものの、仕事は充実していたと振り返る。

 ただ、居心地のいい職場に安住してしまいそうな自分に「私、このままでいいのかな?」と疑問を感じるようにもなっていた。外にも目を向けようと、友人に誘われて起業家の集まりにも参加した。その頃、ふと思い出したのが故郷で作られている「メープルシロップ」だった。

秩父のカエデでメープルシロップを作っていることは、テレビや新聞で報じられていたのでなんとなく知っていました。ある日、気になって調べてみたら『秩父百年の森』というNPOが中心となって活動をしていたので、そこが主催しているエコツアーに参加したんです」

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 井原さんが参加したエコツアーでは、なぜ秩父メープルシロップなのか、という説明があった。それは、「伐る林業」から「伐らない林業」へという目からウロコの発想の転換だった。

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 井原さんは故郷の山を舞台にしたこの画期的な取り組みについて、「もっと詳しく知りたい」と思った。そこで、秩父で暮らす母親のツテをたどり、複数の関係者に話を聞かせてもらったそうだ。そうすると、エコツアーでは知りえなかった課題も見えてきた。まず、秩父百年の森もふたつの組合も、高齢化していた。せっかく価値がある活動をしているのに、資金と人手不足で、情報発信や新しい商品の開発にまで手が回っていなかった。そう、サスティナブルな林業を目指す活動なのに、組織自体に余裕がなかったのだ。

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「この活動をもっと広めたい!」

 理屈抜きで胸の内に熱い火が灯った井原さんは、年が明けた2014年1月、会社に辞意を伝えた。会社の人たちだけでなく、顔見知りになった秩父百年の森や組合の関係者にも考え直すように諭されたそうだが、それもそうだろう。秩父百年の森にも組合にも、専任で人を雇う資金などない。会社を辞めた後に井原さんがどう稼ぎ、なにで食べていくのか、なにも決まっていなかったのだ。その状況でよく踏み切れましたね、と言うと、井原さんはほほ笑んだ。

「ほんと、そうですよね」

 僕はこれまでの取材を通して、たびたびこの「居ても立ってもいられない衝動」に突き動かされた稀人を見ていた。自分のなかの抑えきれないワクワク、ドキドキに加えて、誰かのため、世の中のためという理由が加わった時、人は誰もがビックリするような馬力を見せる。井原さんも、そうだった。