おもしろい・・・?

100歳の生きじたく

 この辺りのお話も、すごいなぁ・・・でした。

 

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 明治生まれの夫は、前にも述べたように家のことはまったくせず、頑固で、いつもカッカ怒っているような人でしたが、交友関係にあった文士たちも、また豪快でした。

 私と結婚する前のことですが、夫は評論家の小林秀雄さんに、よく夜中にたたき起こされて、「ちょっと酒買ってこい」と言われて、「おまえが、いかにばかかっていうことを、これから聞かせてやるから」と、延々お説教されたそうです。からだが引き締まる思いがしたと言っていました。

 私は小林さんとはお会いしたことがないのですが、夫よりもかなり年上だったので、逆らえなかったのでしょう。

 作家の外村繁さんも、本当に全部奥さんにまかせっきり。税金のこともよく知らなかったので、「奥さんが亡くなったら、どうなさるの?」と聞いたら、「ああ、税金を納めない」と言っていました。

 それで通ると思っているのです。昔の文士って、本当に豪快でおもしろい方が多かったです。

 作家の檀一雄さんも、テレビ局でお会いする機会が多かったので、わりと親しくしていました。突然電話がかかってきて、「宇和島の雑煮は何と何を入れるの?」と、料理の話をされたりしました。

 檀さんは火宅の人と言われていましたから、私はよくわかりませんが、奥さんは、本当にたいへんだったのでしょう。

 いまだったら、すごくとんでもないことばかりだったけど、そのころは、みなさん楽しくやっていました。だから、奥さん方は苦労されていたと思います。みなさん酔っ払いで、でも貧乏で。だけど才能があってプライドも高いから、たいへん。奥さん方は、着るものもなくて、いつも一張羅ばかり。

 作家の尾崎一雄さんは、麻雀が大好きで、当時独身だった古谷の家によくみんなで集まって、麻雀をしていたそうです。

 それで、徹夜になると、家に帰りづらくなって、「ちょっと古谷君、一〇銭貸して」と言って、古谷からお金を借りるのだそうです。

 そのお金で何をするかと思ったら、一つ一〇銭くらいのおまんじゅうや大福を買って帰って、玄関の戸を開けて、手だけで、おまんじゅうを差しだすらしいのです。

 奥さんは、旦那さんが帰ってきたら、なんて言ってやろうかと、カンカンに怒っているのですが、それを見ちゃうと、自然に笑ってしまう。奥さんは本当に甘いものが好きで、ついニコッと笑顔になってしまうとか。

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 こんな話を、毎晩のように、うちに人が集まってお酒を飲んでいるときに、夫から聞いていました。

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 くり返しますが、夫は、家のことはまったく何もしない、自分ではできない、手のかかる人でした。というのは、夫は、小さいころからイギリス人の乳母に育てられて、自分では何もしなかったのです。正真正銘のお坊っちゃんです。

 大切に育てられてきたというのもあるでしょうが、とにかく、生活というものがわからない人でした。

 若いときに、はじめて下宿をしたら、自分で布団を敷いたり上げたりしなくてはならないことに、とても驚いたらしいのです。その理由が、「布団が重くて、びっくりした」とか。何を言っているの、という感じです。

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 お坊っちゃん育ちの夫は、おもしろい半生を送ってきたので、晩年もおもしろかった。夫が知り合った方々が、たくさんうちを訪ねてきてくれました。夫には、いろいろなところへも連れていってもらいました。

 私は、何か特徴のある生き方をしてきたわけではなかったし、家も貧乏でした。父や母とも、早くに別れていたので、古谷家のようなうちは未知の世界で、おもしろかったのです。

 ただ、そういう夫だったので、金銭感覚がまったくなくて、そこは苦労しました。もっぱらお金に関しては使う側です。だから一生懸命、私が稼がないといけませんでした。

 いま住んでいる家も、私が働いて建てました。夫は、生活のことや家計のことは一切考えないし、姑も何も苦労せずに育った人でした。そんな二人だったので、私は細腕で頑張りました。

 たいへんでしたが、やはり夫といると、いろんな方と出会えたり、おもしろい話が聞けたり、楽しい経験ができたので、頑張れたのだと思っています。