ごはんのことばかり100話とちょっと

ごはんのことばかり100話とちょっと (朝日文庫)

 お子さんが二歳半~六歳になるまでの間に、ふっと思ったことをさっと書いたというエピソード集。

 印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P63

 そういえば、このあいだ乗ったタクシーの運転手さんは、埼玉のとても大きな不動産会社の社長さんだった。今度都内に事務所を開くので、渋谷から三軒茶屋あたりのほんとうの姿、何時にどういう人が動くか、何が求められているかを知るには、社長自ら、こうやってその町に足をつけてみるしかない、暮らすか仕事するかしないと、読み間違えるから、半年間だけタクシーに乗っているのだ、と言っていた。発見したことはたくさんあるが、いきなり事務所を出さないでほんとうによかった、本に書いてあることや人の言うイメージは大まかには合っているが、全然違うんだとも。

 

P141

 暑い牧場の真ん中に、重そうな荷物を持って夫のお父さんがやってきた。

 中にはメロンと桃が入っていると言う。

「なんでそんなの持ってくるの」と夫は子どもみたいに怒って言った。わかるわかる。親のするとんちんかんなことには、どうしてもそういうふうに言いたくなる。

 その場で食べるチャンスを逃し、お父さんは持っていって新幹線の中で食べなさい、と言った。夫は重いからいらない、と言った。私は「お父さんが重いのにせっかく持ってきてくれたのだから、持っていこう」と言った。こういうとき、この役ができるのは他人しかいないのだ。

 新幹線の中で棚に載せて、下から見たら桃は腐っていた。

 下のほうが真っ黒で、上だけ大丈夫だった。お父さんはあわてて冷蔵庫から出したから、きっと気づかなかったのだろう。お父さんの男やもめの生活の深さ暗さが伝わってきた。

 でもそれはお父さんの大事な生活で、だれもとりあげることはできない。東京に来てアパートみたいなところを借りてまで、息子の近くにいたいわけではない。もうどうしようもない。私にもなにもできない。だれもが幸福でもない、不幸でもない。そして愛はたくさんある。桃は食べられなかったけれど、桃の形の幸せは受け取った。

 東京駅のごみ箱に桃を捨てるとき、うっかりナイフもいっしょに捨ててしまった。

 これから一生、東京駅のごみ箱で腐っていく桃とそのそばのナイフを思うと、胸が苦しくなるだろうと思った。

 人生がきれいごとだったらどんなにいいだろう。

 ・・・

 でも人間はそのようではないし、きれいごとを創るためのエネルギーはけっこうばかにならないので、そんなことはどうでもいいからそっとしておいてくれ、だめなままでいさせてくれ、胸が苦しくてもすれ違ったままでも愛してると思わせてくれ、と私はきっと老後にも思うだろう。

 

P186

 最近、似た話をふたつ聞いたのだけれど、すごく大事な話だと思ったので、書いておこうと思う。

 神戸の震災のときのことだ。

 ひとつはイイホシさんというすてきな器を作る陶芸家さんのブログに書いてあったことだが、震災のあとまだ完全に復興していない町で、「アフタヌーンティー」が久しぶりに営業をしたらものすごい行列になり、それを見て彼女はどういうものを創りたいかという方向性がはじめてほんとうにかたまったという話。

 もうひとつは島袋道浩さんという芸術家の話だ。

 彼は「『ああ、お茶が飲みたい』と思ったときに、喫茶店が向こうからやってくる」というアートを考えつき、海の上に店を出したり、屋台のように店を移動させながらお茶を出すというのをやっていた。・・・

 震災のとき、神戸出身の彼は現地に飛んでいって、そのノウハウを生かしてコーヒーをただで配ったり、やはりコーヒーをただで配っていたおばちゃんのために看板を作ったりペンキを塗ったりしたそうだ。がれきの中に色が戻ったとき、人々もきれいな色やデザインを欲しているし、自分も嬉しかったと書いてあった。それまで自分を芸術家と名乗ることはしなかった島袋さんは、そこでがれきの中できれいなチラシやポスターや看板を作っていて、「仕事ないのか?探してやろうか?」と声をかけてきたおっちゃんに「僕は芸術家や、これが僕の仕事や」とはじめて宣言したのだという。

 昔読んだのだが、食生態学者であり探検家でもあった西丸震哉さんはきゅうりが大嫌いで、ほんとうに飢えてせっぱつまればきっと食べるだろうと思っていたら、戦時中死にかけていてもやっぱりきゅうりは食べられなかったそうだ。この話と、その話たちは、対極にある話だなあと思う。でも得られる教訓は似ている。

 そうだ、どんなに経済が苦しくても、命に関わるたいへんなことが起きたときでも、人は心が自由になる瞬間を求めているんだ。そしてどんなにたいへんなときでも、ほんとうに嫌いなものをむりに好きになることはないんだ。心は自由なんだ。

 お茶をしてほっと和む、それは災害時や緊急時にいちばんはじめにけずられてしまいそうなことだ。そして好き嫌いなくなんでも食べられたらいちばんいいとわかっていても、いやなものはやはりいやなんだ。

 人類にとってそれはかなり重要なことなのだ、とそのみっつの話で確信した。そしてその「震災時のがれきの中の喫茶店」のような小説を書いていきたいと心から思ったし、いつまでも子どものように「きゅうり」はいやだ、と言っていようと思った。