杉浦日向子の江戸塾

杉浦日向子の江戸塾 笑いと遊びの巻 (PHP文庫)

 杉浦日向子さんと、いろんな方の対談を通して知る、江戸の庶民の姿。田辺聖子さんや林真理子さんとの対談もあって、面白かったです。

 

P59

田中 ・・・いま、私たちは仕事の関係でそうなるんでしょうけれど、わりと同じ時間に食べてますでしょう。江戸の人たちは、自分の都合に合わせて適当に食べてる感じですね。

 

杉浦 そうなんですよ。たとえば、朝起きぬけに六時頃食べて、また十時ぐらいに食べて、あと夕方四時ぐらいに食べるとか。あるいは朝十時に食べて、お昼二時に食べて、夜は六時頃に食べるとか、まちまちだったみたいですね。・・・江戸ではずっと個人主義が徹底していて、休みもてんでんばらばらに取っていた。

 

田中 そうそう、第一、日曜なんかありませんものね。芝居小屋も朝からやってるし、遊郭も朝から開いていて、お風呂も朝からやってるんですよ。

 

杉浦 ふだんが休みで、食えなくなって働く。発想が逆なんですよ。

 

田中 ま、働くといっても適当に働く(笑)。食事も午後二時ぐらいのを夕食と呼んだりしてるんです。

 

P104

杉浦 月のうち、七日とか十日働けば、充分一家四、五人養えるんです。

 

田辺 いいわねえ(笑)。最高の世の中じゃないかしら。で、部屋が狭いんですのね、一軒が。

 

杉浦 狭いですね、長屋というのは。土間まで入れて四畳半とか、せいぜい四畳に一畳半ほどの土間がついているくらいです。

 ・・・

 町自体が、自分の家になっているんです。寝るスペースさえあれば、あとは、町内が家ですから、狭い感じはしないんですね。向こう三軒両隣で、大きな味噌樽をみんなで使っているとか、お漬物は誰の家にあるといった共同生活をしていたんです。

 

田辺 私は江戸資料館へ行って、杉浦さんのマンガの根本がわかった気がしました。なるほど、こういうところから、お江戸の体質は出てくるのかな、と思って。楽しいですね、春になるとお花見に行き、夏になると大川で花火を見て……。

 

杉浦 仕事に追われるということがないので、そのぶん楽しみがたくさんあったんでしょうね。江戸っ子は宵越しの銭を持たないと言いますでしょう。正確にいうと持てないんですね。粘り強くなく、飽きっぽい性格で、仕事が嫌いな人ばかり。

 

田辺 結構ですねえ(笑)。

 

杉浦 江戸の人々というのは、結局、全員がフリーアルバイターという感じですね。ちゃんとお店を構えている商人は、みんな大坂とかあちらから来た人たちですから。

 

P181

杉浦 江戸時代の結婚っていうのは、本来は中流以上で、継ぐべき家名と財産がある人だけのものだったんですね。庶民は継ぐべき財産も家名もないから、儀式は必要ないわけです。庶民の場合、男女が一緒に住んでるのを「引っつき合い」と呼んだんですよ(笑)。

 

林 なんだか夢のない呼び方ですね(笑)。

 

杉浦 ただ引っついているだけだから、寒い冬の間だけ一緒にいて、暖かくなったら別れるというのでも構わないわけ。好きな間だけ一緒に住んで、気持ちが離れたら別れるというシンプルな形です。でも、近所の人に知らせるという意味で結婚式をする場合は、長屋の仲間を呼ぶ人前結婚が普通ですね。

 ・・・

林 で、別れるときには夫が妻に三行半を突き付けるのね。

 

杉浦 それ、反対なんです。江戸の三行半っていうのは、全部女房が夫に強制的に書かせたものなんですよ。「次の男ができたから、あんたちょっと書いてちょうだい」って(笑)。これは再婚許可証なんです。これをもぎとっておかないと、次の結婚ができない。だから、たいてい次を見つけてから書かせるの。

 

林 ええっ、私たちが昔教科書で習ったのと全然違う。ある日突然夫から三行半を突き付けられて別れさせられるっていうのがパターンじゃなかったかしら。・・・近松の作品に出てくる、心中しちゃうような切実な愛欲の世界はどこに行っちゃったの。

 

杉浦 あれは上方の文化ですね。さらしものになったりするのは、武士の家です。武士の家では不義はお家のご法度ですから。江戸でも武家以外の女性は、すごく自由で、むしろ女性が主導権を握ってますよ。結婚も二度する人が多かったんです。

 ・・・

林 私も江戸に生まれたかった(笑)。江戸の奥さんたちって、どんなことして遊んでいたのかしら。着飾ってお芝居見に行くとか。

 

杉浦 それもありますけど、男性と同じことをしてましたよね。立ち飲みみたいなところでお酒を飲んだり。

 ・・・

林 どうして女性がそんなに主導権とれるの?・・・

 

杉浦 ・・・仕事をしている人が多かったから、自分の収入があったんです。・・・実はあらゆるすき間産業に進出して、結構うまいことやってたんですよ(笑)。

 ・・・

 ・・・江戸は単身赴任者が多かったから・・・引越の手伝いをしてひと財産を築いた女性もいるし、汚れ物を洗って、ほつれたところを繕ってたたんで届けたりね。そのときに次の汚れ物を取ってきて、月極め契約をするんです。

 

林 へえ、クリーニング屋さんがあったの。じゃあ、夕飯の支度をしてあげたりする仕事もあったりして。

 

杉浦 ありましたよ。おかずの一人分パックを売るお店。・・・あとはお掃除産業。これも月極めで、留守の間に掃き掃除や拭き掃除をしておいてあげるんです。

 ・・・

 頭がいいんですね。亭主はたとえば天秤棒の前後にカゴをぶら下げて、六文で仕入れた菜っ葉を八文で売るという零細な商いをしているんですが、〝かかあ〟は余って捨てる菜っ葉をおかずにして十二文で売ったり、頭を使って商売してますよね。

 

林 じゃあ、奥さんたちのほうがずっとお金を持っているわけね。

 

杉浦 そうですね。江戸の子供たちは寺子屋に行ったりして教育費もかかるんですが、それもほとんど母親が出すんです。〝かかあ〟は自分の着物も装身具も全部自分で稼いだお金で買う。・・・

 かかあは人間を超越して、床の間に飾って日夜拝んで磨いておくような縁起物なの。持ってるだけで幸せというようなね(笑)。だから、上座に座るのは〝かかあ〟のほうです。