こちらは1940年生まれのカトリーヌさんのお話です。
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カトリーヌは82歳。
私の夫の伯母にあたる人だ。
冠婚葬祭でしか会うことはなかったが、彼女には以前から興味があった。
カトリーヌは一人娘を生んで数年後に離婚。離婚後に出会い、長年連れ添ったパートナーとも数年前に死別し、現在は一人暮らしだ。孫やひ孫たちとは交流があるものの、一人娘とは疎遠なようす。リタイア後は、戦死した父親の書簡をたよりに家族の物語を本にまとめて出版した。
3つの国籍を持ち、4か国語を操り、世界のあちこちを旅してきたカトリーヌ。
フランスだけでなくアムステルダムにも住居を持っている。
そして、フランスの家を売り払い、アムステルダムへ移住するという。
現在82歳の彼女にとって、終の棲家となるはず。
心臓にペースメーカーが入っているのにバイタリティにあふれていて、近々には以前から交流のあるアーティストに会うために、アフリカに行くのだという。
彼女がなぜこんなに生き生きとしているのか。
そして、82歳という高齢で、外国に暮らす決意をしたのはなぜなのか。
今、まさに終活まっ最中の彼女に、話を聞いてみたいと思った。
・・・
「フランス人なのに、どうして終の棲家は、アムステルダムを選んだの?この家を手放すことに迷いはなかったの?」
と、最初から核心に迫る質問を投げかけてみた。
「迷うも何も、医師から強制退去命令を突きつけられたからなのよ。これまでに2回、突然胸が苦しくなって倒れたのが原因ね。この人里離れた田舎の家で一人暮らしを続けることは自殺行為のようなものなのよ。
親身になってくれる友人もいるけれど、でも他人に迷惑をかけてまでここで暮らし続けるわけにはいかないから決心したの」
アムステルダムのアパートは街の中心部にあり、展覧会やコンサート、レストランに行くにも、車なしでどこにでも行けるのだとカトリーヌはいう。そのうえ医療システムも社会福祉も充実していて申し分ないのだとか。
「母国のフランスとオランダを天秤にかけて選択したわけではないのよ。
でも、実は私、ここにいると『フランス語がとても上手な外国人』だと思われることもあるの。自国なのに溶け込めていないのがよくわかる。
今までいろんな国で暮らしてきたけれど、結局どの国でも、自分はいつも外国人だという意識がぬぐえなかった。フランスでさえもそうなの。
その中で、アムステルダムはたとえ外国人でも自由に暮らせる風土があるの。誰も私が流暢なオランダ語を話すことなんて期待してないのよ。向こうは皆、英語がペラペラなのだから。そんな中で暮らすうちに、いつの間にかオランダのほうに愛着がわいていったのかもしれないわね」
・・・
高校生のころから、毎年夏休みには交換留学でイギリスに1か月、もう1か月はスペインに渡り、ホームステイをして外国語に磨きをかけた。、
「英語とスペイン語を同時に勉強したの?」
「そうよ。言語の違いだけでなく、イギリス人とスペイン人の文化の違いも面白かったわ」
・・・
モンペリエ大学で学んでいたカトリーヌは、大学間の交換プログラムで、1年間イギリスでフランス語を教え、その後フランスに帰国すると、「世界中を旅して回る」と心に誓った。
24歳のときに、アメリカのフルブライト奨学金を得て渡米。フルブライト奨学金といえば、アメリカの大統領やノーベル賞受賞者、政治家など世界各国の著名人を排出したハイレベルの奨学金だ。大学院生でもなかったカトリーヌがなぜ選ばれたのかと聞いたら、
「モンペリエ大学で、当時はまだ新しかったオーディオ・ビジュアルの学科ができて、面白そうだと思って専攻したの。オーディオ・ビジュアルはアメリカが本場だったから、それが選考のときにアピールになったのかもしれない」
とカトリーヌ。新しいことに貪欲にチャレンジする姿勢は今も変わらない。
留学中、25歳のときに、現地で知り合ったイギリス人と結婚した。・・・
35歳のときに一人娘を出産し、仕事でも家庭でも恵まれた生活を送る。
しかし、この生活も長く続かず、41歳のときに離婚。
「私には結婚は向かなかったみたいね」
以来独身。しかし、後に別の男性に出会い、つかず離れず39年間関係を続けるが、3年前に彼の突然の死でそれも終わる。
1997年、カトリーヌが57歳のときには母を亡くしている。
イギリスに住む元夫とは今も連絡を取り合う仲で、4人の孫と4人のひ孫に恵まれている。
モンペリエの森の家で静かな時間と地中海のまぶしい太陽を満喫する日々を過ごしてきた。
「一人ぼっちになりたくはないけれど、孤独を感じるのも好きなのよ。わがままよね」
定年は65歳だったが、早く自由な時間がほしかったので、早期退職する。
4歳で父を亡くしている彼女は、若い頃からつねに「死」を意識して生きてきたという。
「死はネガティブなことでも、悲劇的なことでもなく、誰にでもいつかは訪れること。だから、元気なうちに早く次の目標に進みたかったのよ」
フランス人にはこういう人が多いように思う。定年後は第二の人生。もう引退だと悲観するのではなく、これまでのしがらみや重荷を捨て、新たな生活を始める。その日を楽しみにし、定年が近づくとあれこれ計画を立てる人は私の周囲にもいる。
カトリーヌは、定年の3年前からリタイア後にするべきことのリストを作成した。私が驚いたのは、ただ項目を書き出すだけではなく、実現するためには何をどうするか、資金をどうやって捻出するかまで考えていたことだ。
以下はカトリーヌのリストの一部である。
1.本を出版する
2.青春時代過ごしたバルセロナのホームステイ先でもう一度過ごす
3.昔のようにコーラスグループで歌えるように、声楽のレッスンを受ける
4.文化教養を高めるためにサークルに加入する
エトセトラ、エトセトラ……。
「人と出会うことを大切にしているので、老後、家に引きこもって過ごすなんて考えられないわね」
・・・
リストの1番目は実現した。2番目は先方の都合で実現せず。3番目、4番目は現在進行中で、リストはこれからも増えていきそうだ。
・・・
「この先も健康で長生きするために、食生活で気を付けていることは?」という問いには、
「食事には全く無関心!料理もほとんどしないわ」
と、カトリーヌ。
心臓病のため、若い頃から続けてきたコンテンポラリーダンスもやめたし、自然の中を散策することもできなくなった。
「だって酸素ボンベを抱えて散歩なんてできないでしょう」
70代は、次から次へと体調を崩し、ふさぎ込んだ毎日を過ごした彼女。しかし、1年ほど前にペースメーカーを装着してからは体調も回復してきた。今では70代のときよりもずっと元気だと感じている。
「体がエネルギーで満ちあふれているの。何か新たなことをしようと思うと体の中から活力が湧き出てくる感じね」
そして今、彼女はまた新たな旅に出ようとしている。
「7年前からアフリカンアートに興味を持ち始めたの。才能にあふれた若々しいエスプリが大好きなのよ。同世代の人たちとばかりいっしょにいると退屈しちゃうから」
・・・
気に入ったアーティストの作品を彼女のフェイスブックで紹介したり、アムステルダムの画廊にアーティストを紹介したりしている。そのかいあって、これまでに4人の才気あふれるアーティストがヨーロッパで個展を開催することができたという。
「少しでも彼らの生活が楽になればと現地で作品を購入して応援しているのだけれど、1作品購入すると、おまけでまた1作品プレゼントしてくれるから、助けになっているかどうかわからないわね」
・・・
最後の質問。
「これまでの人生を一言で言い表すと、どうなりますか?」
すると彼女は、
「こんなにたくさんいろいろなことを話したのに、あなたはわかってないわね。私の人生を一言でなんて、できるわけないでしょ。馬鹿げた質問」
と、あきれた様子。
「満足しているとか、楽しかったとか……」と、たたみかけると、
「人生を謳歌すること、精一杯生きること」
実はもうひとつ、「今までの人生でやり残したことは」という質問も用意していたのだが、答えがわかっているのでやめにした。
「最期に後悔することがないように、今を生きているのよ」
と答えるに違いないから。