悟りのような

ご冗談でしょう,ファインマンさん 上 (岩波現代文庫)

 他のエピソードは、周囲になんと思われるかなんて全然気にしない印象だったので、期待に憂鬱になったというのが意外だったのと、そこを突き抜けて至った心境を読んで、やはりそれが大事ですよねと思いました。

 

P292

 僕という人間は「教える」ということを離れては、どうも生きてゆけそうにない。教えてさえいれば、万が一僕のアイデアが干上がって、ゆきづまってしまっても、「少なくとも僕は「生きている」。少なくとも何かを「やって」いるんだ。少しでも「役に立つ」ことをやっているんだ」と自分で自分に言ってきかせることができる。これは心の支えみたいなものだ。

 ・・・

 また、学生の質問が新しい研究のきっかけになるというのはよくあることだ。自分でも以前に考えてはみたけれど、いったん解決をあきらめた形になっていたような深遠な問題を、学生はよく持ちだしてくる。・・・

 ・・・

 だから僕は学生たちを「教える」ということが、僕の生命をつないでくれるものだと思っている。誰かが僕に、授業をしないでいいという案楽な地位をわざわざ作り出してくれたとしても、僕は絶対にそんなものをありがたく受けようとは思わない。絶対にだ!

 ・・・

 コーネルからの通知では、僕は物理学の数学的方法という講座を教えることになっており、・・・

 ・・・物理学の数学的方法とは、まったく僕にとって理想的な課目だった。数学を物理に応用するという仕事は、僕が戦争中ずっとやってきたことだ。僕はほんとうに役に立つ方法はどれか、また役に立たないのはどれかということをよくよく知りぬいていたし、数学のテクニックを四年間も使って必死で働いてきたんだから、その頃にはもう経験だってうんと積んでいる。僕は数学上のいろいろな主題を書き出し、その扱い方をまとめていった。そのとき夜行列車の中で準備したノートは今でも持っている。

 ・・・

 ・・・ともかく、僕はいよいよ物理学の数学的方法の講座をはじめた。その他にもたしか電気と磁気という講座もうけもったように思う。そのうえ僕は研究もするつもりだった。終戦前、博士号をとるための研究をしていたときは、ずいぶんいろいろなアイデアが浮かんできたもので、経路積分量子力学をやる新しい方法を発明したのもその頃だったし、まだまだやりたいことがたくさんあった。

 ・・・いざ研究をするとなると、これがなかなか手につかない。僕はいささかくたびれていたし、何となく興味がわかず、どうしても研究が始められないのだ。・・・どんなにがんばっても、どうしても研究が手につかない。しかも一つの問題だけでなく、どんな主題でもだめなのだ。・・・僕はてっきり戦争やその他のさまざまな事件(家内の死)のおかげで、すっかり精魂つき果ててしまったんだと思いこんだ。

 今考えてみると何でそうなったのかがずっとよくわかる。第一若い頃は良い講義を、それもはじめて準備するのにどれだけ時間がかかるものかということに気がついていない。準備だけではない、実際に講義をし、試験問題を作り、それが理にかなった問題かどうかをチェックするのだから時間をくうのも当たり前だ。僕は充分に考えぬいて講義一つ一つを準備していくという、実際に「実のある」講座を教えていた。ところがそれが大変な仕事だということには気がついていなかったのだ。だから力を使い尽くした僕は、自信を喪失して『アラビアンナイト』を読んでは、うつうつと日を過していたわけだ。

 この間にも大学や実業界のいろいろな方面から、コーネルよりずっと高給の誘いがかかってきていた。こうして招きを受けるたび、僕はますます憂鬱になっていった。「見ろ、僕がもう精魂尽きてることも知らずに、方々からこんなに良い職を勧めてくれている、むろん絶対にひきうけるわけにはいかない。みんな僕が何かすごいことをやり遂げるだろうと期待しているというのに、僕は何もできないんだ。もうアイデアなんかすっかり涸れてしまった。」

 そのうちついに高等学術研究所から誘いが来た。アインシュタイン、……、フォン・ノイマン、……ワイル……どれもこれも皆大頭脳ばっかりだ。その彼らが僕に手紙をくれて、そこで教授になってくれと言ってきているのだ!それもただの教授ではない。どういうわけか彼らは僕が研究所に対して抱いている気持―つまりあまりにも理論にかたよりすぎて、実際の活動やチャレンジがないという―を知っていて「貴君が実験と教育ということに多大な興味をもっていることはよくわかっている。貴君さえよければ特別な教授職を新しく作って、半分はプリンストン大学で教授をつとめ、研究所で半分働いてくれるように取り計らってある」という手紙をよこしたのだ。

 高等学術研究所!僕のためにわざわざ作られた地位!それもアインシュタインよりいいくらいの地位だ。まったく理想的で完璧で、まさにとんでもない話だ。

 事実とんでもない話だった。他の勧誘は、何か成果をあげるだろうと期待をもたれるだけに少し憂鬱になる程度だったが、今度のこの話はあんまりとてつもなさすぎて、そんな度外れた期待には逆立ちしたって応えられるものではない。あまりにもけた外れな話だ。ほかの話は、ただのまちがいだと思えばよかったが、これは常識外れのめちゃくちゃだ。僕はひげをそりながら思わず笑ってしまった。

 それから僕は自分で自分に言いきかせた。「おい、あの連中が考えてるお前とは、あんまりけた外れで、とうていそんな期待通りのことができるわけがない。そんな期待に近づこうと努力する責任なんて何もありゃしないんだぞ!」

 それはまったくすばらしい発見だった。いくら人が僕はこういう成果をあげるべきだと思いこんでいたって、その期待を裏切るまいと努力する責任などこっちにはいっさいないのだ。そう期待するのは向こうの勝手であって、僕のせいではない。

 高等学術研究所が僕という男をどれほど買いかぶったって、それは僕の罪ではない。そんな期待に沿うなど、どだい無理な話だ。明らかにまちがいだ。向うがまちがっていることだってありうるのだと思いついたとたんに、僕はこの考えがそっくりそのまま、職の話をもちかけてきたほかのところにも当てはまるのに気がついた。今勤めているこの大学ですら然りだ。自分は自分以外の何者でもない。他の連中が僕をすばらしいと考えて金をくれようとしたって、それは向うの不運というものだ。

 そしてその日のうちに不思議な奇蹟からか、それとも僕がそんな話をしているのを聞いたのか、僕という男をよく理解してくれたからか、とにかくコーネルの研究室の大ボス、ボブ・ウィルソンが僕をオフィスに呼び入れた。彼はくそまじめな調子で、「なあ、ファインマン。君は非常に良い授業をしているようでわれわれはたいへん満足している。これ以上こっちで何か期待するとしても、それはもう運というもんだ。教授を雇うときには大学側は大ばくちを打つようなもので、もし結果がよければよし、悪ければどうにもしかたがない。だから君の方は自分のやっていること、やっていないことについてくよくよする必要はぜんぜんないんだぞ」というようなことを言ってくれた。きっともっと良い言い方をしたのだろうが、とにかくこれで僕も嫌な罪悪感から解放されて、実にすっきりした。

 僕はまた他のことも考えはじめた。前にはあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう?そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕が面白く遊べるかどうかが決め手だったのだ。・・・僕はただ自分で楽しむためにいろんなことを発明したり、いろいろ作ったりして遊んだだけの話だ。

 というわけで、僕はここに至って新しい悟りみたいなものを開いた。・・・これからはそれこそ娯楽のために、『アラビアンナイト』を読む調子で気の向いたときにその価値なんぞぜんぜん考えずに、ただ物理で遊ぶことにしよう。

 それから一週間もたたないうちに、僕がカフェテリアにいると、一人の男がふざけて皿を投げあげている。皿は上昇しながらぐらぐら横揺れしていた。・・・

 僕は他に何もすることがなかったから、まわっている皿の運動を計算しはじめた。・・・

 僕は引き続き横揺れの方程式も作り出したあげく、相対性理論では電子の軌道がどのようにして動きはじめるのかを考えた。・・・

 こうなると努力なんぞというものはぜんぜん要らなかった。こういうものを相手に遊ぶのは実に楽なのだ。・・・そのときは何の重要性もなかったことだが、結果としては非常に大切なことを僕はやっていたのだ。後でノーベル賞をもらうもとになったダイアグラム(ファインマン・ダイアグラム)も何もかも、僕がぐらぐらする皿を見て遊び半分にやりはじめた計算がそもそもの発端だったのである。