この二宮尊徳のお話、印象に残りました。
P102
「本当の二宮金次郎は、まるっきり違うんですよ」
声を荒らげて否定したのは二宮総本家の二宮康裕さんだった。・・・
・・・
「金次郎のイメージをつくった富田高慶や福住正兄は、その他大勢の弟子のひとりにすぎません。・・・彼らが金次郎を自己流で解釈して、それが世の中に影響を与えてしまったんです」
ふたりの書いた本がネタ元となり次々と讃美本が書かれた。彼に対する尊敬をなぞることで「尊徳」の存在は大きくなり、当初の記録で165㎝だった身長も、いつの間にか182㎝にも達したほどだという。
―例えば、何が違うんでしょうか?
私がたずねると、彼が即答した。
「わかりやすい例でいえば、薪を背負いながら『大學』を読んでいた、という話があるでしょう。日記によると彼が『大學』を購入したのは27歳の時。大体、子供があれを読めるわけないんです」
―でも、学問はしていたわけですよね。
「実は、子供の頃に読んでいたのは『算書』なんです」
残された書き付けの中にその記録があるらしい。「算書」とは算術の手習い書。単位や掛け算の九九、さらには米など様々な商品の売買の計算などを覚えるためのものだ。
「彼は数学が好きだったんです。数字が大好きだった。日記を見ればわかります」
尊徳は・・・19歳の頃から「日記万覺帳」をつけ始めていた。・・・一部を見ると、その日に何を購入し、誰からいくら「かり」たのかなどが事細かに記されている。・・・末尾のほうに伯父の万兵衛に「二両三分二朱かし」という記載がある。
「これは、あの万兵衛です」
幼少期に尊徳を引き取り、尊徳をイジメたとされる万兵衛らしい。
―万兵衛さんにお金を貸していたんですか?
「万兵衛さんの家は代々、善人なんですよ。親戚の間では『いい人』の代名詞で、悪く言う人はひとりもいません。それに子孫も金次郎にそっくりですしね。でも、修身教科書であんなウソが広まったから、戦前、万兵衛さんの家の子は随分イジメられましてね。本当に可哀想なんですよ」
すっかり悪者にされ、万兵衛家は大変な迷惑を被ったそうである。・・・
・・・
―当時、尊徳にはそれだけの財産があったんですか?
「日記を見ると、金次郎は米屋に入り浸りですね。毎日米相場をチェックしている。みんなが金次郎に米を預け、彼が高く売り買いしていたんです。複利計算も瞬時にできたんだと思います。ウチには計算記録がいっぱい残っておりまして、土地の売買にしても想像を絶するくらい細かくやっているんです」
二宮さんによれば、尊徳は「数学の天才」。一種の数字マニアだったらしい。
「農民に1両1分を貸して1反の土地を開墾させたりしています。それで出来高で6分の1ずつ返させるんです。そうすると6年でお金は戻ってくるし、農民もその土地を手に入れることができる。利子は取らないけど金次郎は損しない。要するに、彼らの借金の肩代わりをしていたんです」
農民も自分も損しない。みんなが損しない数学的システムを構築したのである。
―尊徳の教え、のようなものは伝わっているんですか?
「ひと言でいうと、『譲』ですね」
微笑む二宮さん。
―譲る、ということですか?
「昔からウチに言い伝えられているのは『クロを譲る』という言葉なんです。クロとはこの土地の方言で、田と田の境目のこと。田圃にしても人間関係にしても境目をめぐって争いになるわけでしょ。だから『クロは譲る』。自分を捨てて人に譲るんです。『譲って損なし。奪って益なし』です」
人に譲っても損するわけではない。人から奪っても得するわけではない。これは尊徳本人が記したとされる『天禄増減鏡』の中の一節だった。彼は損得を水に譬えていた。容器の中に水を入れる。この水を前に掻いても向こうに押しても元に戻る。急速に押せば急速に動くが、それもしばらくすれば結局元に戻る。損得は水の如し。「悟れば奪って益なく、譲って損なし、是これを天理自然なりと知るべし」・・・と。尊徳といえば「積小為大」、つまり小さな努力を積み重ねていけばいずれ大きな利益になるという教えが有名だが、これはむしろ逆。何をしてもすべては元に戻るという諦念の教えなのだ。
損得の帳尻はいずれ合う、ということだろうか。
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不思議と合う帳尻。参考までに、当時読まれていた算書は「心」が重視されていた。例えば九九の基本も「一より九までおなじ心なり」・・・数字には同じ「心」があるようで、最初から損得なしと思えば帳尻もおのずから合ってきそうなのである。帳尻とは合うものではなく合わせるもの。損得を相殺することがきっと「徳」なのだ。